なぜ、Isisに「そこに戻りたいとは思わない」と即答したのかは分らない。ただ、そう感じたのだ。幼いころにみた夢が現実に遺跡として現れたことに衝撃を受けたし、「ただいま」と言って涙も流した。とても懐かしかったし、安心もした。けれど、戻りたい、とか、住みたい、など、Isisに言われるまで、思いつきもしなかった。
この遺跡は、戻る故郷を示すためではなく、なにか大切なメッセージをくれるためにわたしの前に現れたのだろう、と感じた。そのひとつは、わたしが見る夢やイメージは、現実の世界と繋がっているということだ。
それまで見てきた夢は、自分の世界だけのものだと思っていたし、よく混乱もしていた。例えば・・・
ある朝、目を覚ましてダイニングルームに行こうとした。パパとママが待っている。そう思ってベッドから起き上がり行こうとした。ところが、周りの情景が見たこともない情景だった。まず、自分が着ているドレスに驚いた。肌触りに違和感を感じたので自分の体を見たのだ。わたしが着ていたのは、見たこともない質素な木綿のものだった。部屋も見たことのない部屋だった。なにが起こったのか分らなかった。一番びっくりしたのは、ベッドに見知らぬ男が寝ていたことだった。その手は節くれ立っていて、庭師のような頑丈な手だった。「なぜ、庭師がここで寝ているの?どうやって侵入してきたの?」わたしは恐怖で立ち上がった。大混乱だったのだ(笑)。
固まったまま、窓の外から聞こえて来る音に耳を澄まし、あたりをもう一度見回した。だんだん分ってきた。あ、ここはニューヨークだ。しかも20世紀末。わたしは学生で、ここは安アパートだ。この男は庭師ではなくて、クラスで一緒になってつき合っている人だ。体の力が抜けた。そして分った。ダイニングルームは数百年前のイタリアだった・・。ほっとため息をついたと同時に、パパとママに会いたかったな〜と思った。大きなテーブルに座ってわたしを待っている二人の姿は今も見えるけれど、その時もものすごく懐かしかった。できることなら、もう一度眠って時代をワープしてせめて、朝食を一緒にしたかった。
他の日は、死んだ夢を見た。細かいディテールは他の機会に話したいけれど、わたしは死んだ。それは、ものすごい開放感だった。悲しくなんてなかった。とても気持ち良かったのだ。あ〜・・・とわたしは全身全霊で開放されていた。ところが、目を覚ました。え・・?と思った。重く感じた。なぜこの体があるのかわからず、ゆっくりと腕を上げ、手を宙にかざして指を開いてみた。生きてる・・。ものすごくガッカリした。それだけではなく、死んだのはまた現代とも数百年前のイタリアとも違う時代だったから、「今」に戻ってくるのに時間がかかった。
こうして、わたしは時代と人生と空間を往き来して、大混乱をしていた。夢から覚めるたびに、しばらく呆然とし、意味が分らなくてぼんやりしていた。この頃はまだニューメキシコには行っていなかったし、自分の見る夢が現実と繋がっているという客観的な事実を知らなかった。ただ、夢を実感として感じていただけだった。だから、「今」という時間と「現実」と「夢」の間をうろうろしてパニックしていた。そして、あまり人には言わなかった。だって、「中世にね、わたしはイタリア人で・・」「この時代に死んだ瞬間なんだけどさ」なんて言ってもね・・。今みたいに江原さんが流行ってたわけでもないし。
けれど、ある夢をきっかけに、少しずつなにかがわたしの中で見え始めた。夢は自分のものだと思っていて、外の世界との繋がりを知らなかったわたしに事件が起きたのだ。
同じ誕生日の友人と、同時にまったく同じ夢を、違う立場から見ていたのだ。心底、驚いたけど・・
・・・つづく
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