皆既日食、見ました?
わたしは見ていませんが、友人は、うっすらと雲の間から三日月のようになった太陽を見たそうです。
なんだ~見れなくて残念!と思いましたが、エネルギーはびんびんに感じていました。
みなさんはどうだったでしょうか。
わたしは、今日、人生でももっとも大きな選択のひとつをしました。
勇気を出して、エイっと断崖絶壁から飛び降りたのです。
降りてみたら、結構平気なものでした。
降りる前はかなりビビッてましたけど・・・(笑)
周りには、この時期になって体調を崩している人、精神のバランスを崩してしまった人、それから、なんだか気持ちが落ち着かない人もたくさんいます。
わたしもときどき、冬の枯葉のように空を舞いそうになることもありますが、とりあえず、日常のなかでの楽しみや、息をゆったりすることや、体を使うことや、周りのひとたちと些細なことでも言葉とこころを交わすようにすること、など些細なことをこころがけています。
ある人から電話があり、昨夜、突然自分の好ましくない性質のことで気づいたことがあり、情けなくなって眠れなくなった、という話でした。
彼はとてもまだ若く、これからまだまだだから、そんなに落ち込むことはないよ、とわたしはいいました。
自分のいやなところでも、困ったところでも、気づくって事は大切だし、かといって、それが一生なおらないこともあるわけだから、とりあえず、気づいた自分に感謝して、そんな自分でもいつかいとおしく思える日が来るといいね、といいました。
新月のとき、特に日食のときというのは、気づきのときであり、祈りのときです。
なにか落ち込むことや、自分を悲しく思うことがあっても、それは、きっと神様の贈り物です。
責めるためや、否定するためではなくって、ただ「見る」ため。
闇の中で、こころで見るためです。
そして、そこからそのときの自分にできる選択をしてゆけばよいのだと思います。
わたしは、ひとから見たら「絶対に避けるべき」という選択を今日しましたが、神に与えられた贈り物をそのまま素直に受け取ることにしたのです。
生きていたら大変なこと、傷つくこと、そして、面倒なこともたくさんあります。
嬉しくはないし、できれば平穏で面倒なことのない人生を送りたいものですが、避けては通れないものは、できるだけ両腕を広げて迎えることによって、逆に波が小さくなるのではないか、そして、そこからなにかを生むのも自分次第なのではないか、というのがわたしのこのごろの考えなのです。
仏教の教えにも影響されていますが・・・
NYの親友からは「で、どうしてるの?バカな選択はしてないわよね!」と、心配したメールが来ていますが・・・
人生はそのときそのときを、精一杯生きるしかない、そう思っています。
上の写真は、今日歩いていて近所で見かけたベリーです。
ひとは、小さな脳みそのなかで作る小宇宙の中でぐるぐる回って、そこから出てこれなくなることがありますが、宇宙と世界は広大で、太陽と月が奇跡のダンスをするように、地上でも、奇跡のような美やかわいい命が日々生まれ、そして死んでいっているのだな、と道端の小さな命が思いださせてくれます。
NYのブログ最高です。ドキドキワクワクしながら読んでます。
英語と写真と日本語の交叉してるのがなんだかリアリティを生んでいるのかしら。
帰国ご、お茶ゼヒゼヒとも。
連絡くださいっ
投稿情報: oto | 2009年8 月11日 01:49
oto-san
コメントいただいていたのに、気付いていませんでした。
勇気をもらえるメッセージをありがとう!
また、どこかで是非会いましょう。
明日からNYですがまたすぐに戻ってきます。
ぜひぜひお茶しましょう!
makouta
投稿情報: makouta | 2009年8 月 5日 01:54
マクタさんお久しぶりです!!
只今元気ですか?大きな決断をなされたそうで・・。
けどおめでとうございます
といいたいです。無責任ではなく。。わたしも一年ほど前決断し、今現在進行形です。たまにその頃の時に振りかえらざる得ない時がありあっちを選んでたら・・などと考えてみましたが、多分わたしは今のように心から笑える事などできなくなっていたと確実に思いますし、良いように色々改善されてきたように思います!これでよかったん!!ってスゴク思えて生きた心地がしています。だからマクタさんも自分の己、魂を信じ思う道、まだ見ぬ未来、コロニーを描いてしっかり足をつけて着実に素直に行って欲しいと思いました。
暫くは辛い事などもしかしたら在るかもしれませんが、人生ってマジわからん!いい意味で!
これからの行く末はもっと善い筈です


わたしも、のろまなわたしですが、次のステップへ行けるように日々頑張りたいとおもいまっす。
では、またどこかで
投稿情報: oto | 2009年7 月24日 22:49