って、いう古い歌があったと思います。今朝、うだるような暑さの中で、ふと思ったのです。あなたなら、どうする???
なにを思ったかというと・・・CO2削減です。先ほどのサミットで、オバマ大統領を中心に、CO2削減を80パーセント目指すという指針が出されました。古舘さんがキャスターをしているニュース番組で、古館さんが「むちゃくちゃなこと言いますね。絶対実現化しないようなことを言ってどういうつもりなんでしょう?」みたいなことを、口を尖らせて言っていました(笑)。これは、国際的な勘違いだな、とわたしはその時思いました。確かに、80パーセント削減どころか、1パーセントも下がっていない日本の生活CO2。80パーセントなんて・・・無理難題にしか聞こえません。けれど、政治にはいろいろなやり方があります。
日本の政治家は、できもしないこと、餅を空に描いて、有権者のこころをひこうとします。ほとんどのことは実現化されないか、ただの、客寄せの言葉です。だから、政治家の言うことなんて嘘だ、というのが日本での常識です。それと同じように考えると、オバマさんもいい加減なヤツってことになります。80パーセントの削減なんて、馬鹿なことをいいくさって、なんのつもりだ。所詮、政治家なんて・・・・ってね。でも、アメリカやそのほかの世界では、最初から数字を高く掲げていれば、その半分でも達成できるかもしれない、という算段でやることがあります。80パーセントといえば、せめて40パーセントは下がるのではないか。それに、実際に80パーセント下がることが、理想である可能性もあります。現実はどうであれ、理想は理想で掲げ、一般に知らせておく、いつか浸透するかも知れない、という考え方もあります。古舘さん、そこまで読んで解説してくれたらもっとわかり易かったのにな・・と思いましたが、ちょっと無理だったようです。
なんにしろ、世界の人々は、まだ成長と進歩という言葉にまどわされていて、現状と生活のありかたを見直すことがなかなかできないでいます。生き方を変えるのは容易ではない。または、理想を描き、志を持つというのは、なかなかできないことである、というのを、アメリカの政治家たちはわかった上で出している数字だとわたしは思いました。実際に、わたしはアメリカの政治家に接したことがあり、彼らの冷静な計算と交渉能力にはいろいろな意味で感嘆しています。それに、オバマさんはいろいろな世界で生きてきた人です。きちんと計算した上でのことだと予想します。
それはよいとして・・・もし、80パーセント削減するとしたら・・・実際に、生活の中から80パーセントの「便利」を切り捨てるとしたら、なにを捨てるだろう?とわたしは今朝おもったのでした。外はうだるような暑さで、朝早くから、朝日を浴びた部屋はどんどん気温が上がり、空気は濃厚になってゆきました。同時にわたしの体は鉛のように重くなってゆくのでした。
そして、思ったのでした。寝ていたところから見えた、冷蔵庫。これはきっと手放せない・・・・。
南の暑い国のひとたちは、ずっと冷蔵庫もなしに生きて、スパイスを入れたり、食べ残さないようにしたりして、食べ物を腐敗から守り、健康に生きてきたんだろう。そこには、いろいろな工夫があったのだろう。でも、わたしは、冷蔵庫が好きなのです。単純に、そこに入れておいたら、なかなかものが腐らないから。入れてるだけで安心します(笑)。幼いころ、フィリピンに行ったとき、昔のアイスボックス、いわゆる冷蔵庫というものを見せてもらいました。当時はもう使っていませんでしたが、昔使っていたのだそうです。それは、金属の箱で、中に大きな氷の塊をいれ、それで食べ物を冷やしていたそうです。なんと不便で、贅沢で、大変なことをしていたのだ、と子供心に驚いたのを覚えています。日本も昔は同じだったということを、後に学んだのですが・・・。
電気冷蔵庫も文明の産物であり、エネルギーをかなり使っています。なかったらなかったなりに、きっと、もっと季節と自然に沿った生活ができるのでしょう。でも、わたしは、どうも冷蔵庫は手放したくない性質なんだな~なんでだろう、と思ったのです。トイレットペーパーを使わないことも、洗濯機を使わないことも、エレベーターは使わずに階段で上がり下がりすることも、テレビをみないことも厭いません。でも・・・・なぜか、冷蔵庫は捨てたくない(笑)どうも、いろいろな前世の記憶はあっても暑い国で生まれて生きたという記憶もなく、アフリカンダンス好きのくせに、暑いところがあまり好きではないからかもしれませんし、ものが腐ること、不衛生に対する潔癖なほどの嫌悪感があるせいもあるかも知れません。さよならが苦手なわたしは、野菜や食べ物が一日でも長く生き延びることをどこかで願うのかもしれません。とにかく、20パーセントしか残せないのなら、わたしの場合、そのうちのひとつは冷蔵庫になるんじゃないか、と今朝、ふと思ったのです。あとは・・・コンピューターでしょう。携帯も電話もいらないけれど、コンピューターは多分手放せない・・・
それにしても・・・・みんな、手放したくない「便利さ」というのがあるんだろうな。80パーセントの便利さを、今の生活の中から手放すとしたら、みんな、なにを捨てて、何を守るんだろう。これだけ気候や世の中の変化があって先が見えなくなり、多くの人が病気になったり、精神不安になっている今、80パーセントの削減はすぐにできなかったとしても、自分なら、なにを捨てて、なにを守るか、せめて想像することから始めなくてはならないのではないか・・・・でないと、とんでもない方向に加速度的に行くような気がする・・・ふと、とても日本とは思えない暑さの中、あまりうまく回らない頭で考えた今朝でした。
あなたなら、どうする??
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写真一番上:エネルギーコストが問題になったコンビニ。田舎では、オアシスであり、「都会化=進歩」の象徴だったりする。暗い中にポツリとまるで宇宙船のように浮かぶ。
写真下の上:スターバックスから見た品川駅。スターバックスを始め、便利と名のつくものの多くはアメリカからやってきた。「楽」と「便利」がよいもののすべての代名詞になっているかのような日本の昨今。親玉アメリカが出した「80パーセントの削減」
写真一番下:電車というか、汽車が日本に導入されたのは明治。たしか6年か8年。日本中が歓喜している中、冷静に「文明開化の音がする」と、自分の足で歩くことがなくなるだろう現代人を予想して、汽車の導入を嘆いたのが夏目漱石。彼は、「文明」のもつ危うさを憂い、汽車を相当危険視していた。そしてわたしたちは、彼の予想通り、どこに行くにも足で歩かなくなり、電車に乗るためにある、駅の階段さえ他力に頼っている。自分の足で歩かないことは、自分の頭で考えないことだと言われている。それでも、毎日のように満員の通勤列車に揺られ、吐き、痴漢に悩まされながらも、電車にのることをやめない。
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