

コンピュータ−がダウンしていたこの数日の間のあるお天気のよい日、わたしはダンサーの武田まりさんと午後を過ごしました。まりちゃんとは、最初にNYで会ってからの友人です。出会ったのはもう、随分昔のことです。NYにまだファレタというアフリカンダンスとドラムのスタジオがあったころです。NYのダンスの歴史に残ると言われている有名なスタジオで、マンハッタンの繁華街、東京で言うと渋谷や青山のようなエリアの真ん中にあり、毎日お祭りのような賑わいで、多くの偉大なアーティストたちが通り過ぎていったところです。ギニア国立舞踊団メンバー全員によるダンスとドラムワークショップを受けたもの、ドゥドゥニジャエローズのドラムクラスを受けたのも、このスタジオでした。NYを訪れるアフリカのアーティストは必ずここに立ち寄ったという場所でした。アメリカの芸能人も沢山見かけました。たまに、日本の芸能人も来ていたようですが、日本の事情を知らなかったわたしは誰だったか未だに分りませんが、いろいろなひとが来ていたようです。
それは良いとして。まだ90年代初頭だったその頃、武田まりちゃんの登場は珍しいものでした。それこそ、たまに現れる芸能人以外は、ほとんど日本人はNYのアフリカンシーンには現れなかったからです。まりちゃんは色が白く、今よりむちむちしていて(笑)、セクシーなレオタ−ドと腰巻きで元気に踊っていました。珍しい、、、、日本人がいる、と多分わたしから声をかけたのだと思います。それから仲良くなって、一緒にいろいろなクラスを受けたりしました。ほとんど、日常生活でも日本人と接することがなかったわたしは、嬉しかったのだと記憶しています。すでに占星術オタクだったわたしは、彼女の占星術のチャートまで出して和訳して説明したのを記憶しています(笑)。
恋愛の話し、ダンスの話し、リズムの話し、しょっちゅうしていました。その後も、東京に来たとき彼女の実家に泊めてもらったこともあり、わたしの結婚のパーティを催してもらったり、困ったときは助けてもらったり・・よく考えたら世話をかけっぱなしな気がしないでもないのですが(笑)、とにかく、長い間の友です。そんな彼女と先日、昔話から、今の日本のアフリカンダンスシーンの話しまで、ゆっくりいろいろしました。実は、わたしのバンドの最初のライブに彼女にもダンサーとして出てもらいたく、その話しもしたのです。とても気持のよい午後でした。
彼女と話したことと、昔を思い出したことで思ったことがあります。それは、わたしたちがいろいろ伝えて行かなくてはならない時期になっている、ということです。正直、山田洋次映画監督が今日テレビで「これから若い人たちを育てて行きたい」と言っていましたが、山田監督ほど年齢も経験も重ねておらず、わたしたちは人間としても芸人としてもまだ発達途中です。けれど、このアフリカンダンス界においては、多くのひとの先輩であり、経験者でもあります。このままわたしたちが黙っていて、知っていること、思っていること、考えていることを伝えて行かないと、大切なことが分らないままになるのではないか、と思いました。
ちょうどこの日は、まりちゃんのクラスの日だったので、わたしは後で見学に行きましたが、武田さんにも言われました。「クラスのドラマ−たちの指導してる?僕たちが若い後輩たちに教えて行かないと先が育たない。」武田さんは、クラスの前にドラマ−を集めて「このパターンで6/8が刻めてるから、そこを叩けばこっちも・・」と、丁寧に指導していました。見ていて感心いたしました。わたしは武田夫妻とは人間のタイプが違うので、彼らのような指導者にはなれませんが、わたしなりに、自分の考えること、感じること、知っていること、を伝えていったほうが良いのではないか、と感じました、前フリがやたら長くなりましたが、思っていることを少しずつ書いて行こうと思います。そして今回は「一番になること。認められること」について書こうと思います。
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NYのアフリカンダンスシーンに日本人が現れるようになったのは、円高が続き、アフリカンダンスが少しずつ日本でも浸透し始めた90年代の後半からです。それでも数は限られていましたが、少しずつ「1ヶ月で」とか「3ヶ月で」というひとが90年代の後半から出てきました。けれど、それまでは、武田まりちゃんくらいで、ほとんどいませんでした。あとは、向こうに居住していたわたしともう一人の先輩ダンサーだけでした。ところが、そんなある日、小さくて目がくるりとした可愛い女の子がファレタスタジオに現れました。一番奥の広いスタジオの入り口でクラスの様子を見ていました。日本人は珍しいので、わたしはすぐに気付きました。
けれど、まりちゃんに話しかけたように、わたしは彼女には話しかけることはありませんでした。彼女のエネルギーがアグレッシブ(攻撃的)だったからです。とても可愛い子だったのですが、目つきが挑戦的で、体から出ているエネルギーが、濁っていると感じたからです。けれど、彼女は長いことNYに滞在し、とうとうアメリカ人と結婚して今でも居住しています。そして、だんだんわたしたちは打ち解けて友達になりました。
彼女は変わったのです。エネルギーが柔らかくなったのです。そして、彼女に心境の変化を聞いてみると「最初NYに来たとき、NYで鍛えて、日本で一番のサバールダンサーになろうと思っていた」と言いました。わたしはビックリしました。「一番?一番ってなに?」と、その発想自体に驚きました。
それが、わたしの日本人の「一番好き」との最初の遭遇でした。彼女は続けました。「けれど、こっちに長くいるにつれてそれがバカバカしいってことが分ってきた。第一、こっちには到底太刀打ちできないダンサーがいっぱいいるし、あなたには勝てないし、結局一番とかどうとかそういうことじゃない、ってことが分ってきた。踊りを楽しみ、自分の踊りを追求することにしたんだ。そうしたら、楽になった。」
わたしは、思います。多くの日本のひとが競争社会で生きていて、いつも、一番を争っている。偏差値、クラスの順位、学校の優劣、会社の優劣、お給料の優劣、車の優劣、家の優劣、ルックスの優劣。誰が一番か、そればかりを気にしています。わたしの友人は、オシャレをして電車に乗った日には、車両にいる女の子全員を見渡してチェックし「今日はあたしが一番オシャレ!」と満足するそうです。これにも心底驚かされましたが、彼女は真剣です。要するに、いつも他人と自分を比べているのです。
踊りは厳しい実力の世界です。NYにも激しい競争はあります。わたしは、その中で生きてきました。けれど、それを生き抜いた結果見えるのは、「誰が一番」とかそういうことではない、ということです。ひとには個性があります。それは、試験の偏差値のように簡単に数値で価値判断されえるものではありません。例えば、ゴッホとゴーギャンを比べて、どちらが良い画家でどちらが1番でどちらが2番か、と聞かれて、あなたは答えられるでしょうか。では、ピカソは?では、モネは?では、シャガールは?比べられるものではないのです。ひとはみな違うからです。
ただし、一流であるかないか、にはハッキリとしたラインがあります。一流になるには、条件とものすごい努力がないとなれません。そして、一流になったならそこには順番はないのです。ただ、一流であるだけ、です。ですから、もし、なにか上を目指したいなら、一流を目指せばいいのです。一番ではなく、一流です。一番はあまりにも考え方が安易過ぎます。だって、周りがみんな下手だったら・・一番なんて簡単になれます。それに、一番であっても、必ずしも一流とは限らないからです。この女の子が日本で一番のサバールダンサーになっても、NYでは一番ではありません。けれど、一流とは、どこでも通じるものです。
それに、踊りというのは、ひとと争って順位を決めるようなものではないとわたしは考えます。ライバルも刺激も競争もある程度は必要です。自分を磨くために。けれど、争いの種になるとしたら、本末転倒です。そして、日本の多くの女の子たちは、周りに「認められているか」または「好かれているか」と気にし過ぎだとわたしは感じます。
わたしのところにもクラス参加の女の子からメールがくることがありますが、わたしが返事をしないだけで気分がくじかれるひともいます。特に、「参加します」というようなメールには、初めての参加者以外には、一般的には返事を出しません。参加するかしないかは、メールで確かめるものではなく、参加することによって答えが出るものです。けれど、わたしの反応をいちいち確認したがる子たちがいます。また、「あの先生はわたしのことそんなに好きじゃないみたい」などと、他のクラスで女の子が言うのも耳にします。けれど、先生というのは、生徒を好きになるために教えているのではありません。芸を伝えるために教えているのです。一番大切なのは芸であり、感情ではないのです。ですから、メールの返事が来るか来ないかの心配より、自分がどんな踊りを踊っているか、どれだけきちんと継続してクラスを受け、学んでいるか、の心配をすることが大切だと考えます。その生徒がどれだけ学ぶのか、どれだけどのような努力をするのか、どんな踊りをするのか、どんな体なのか、わたしは、その一点で生徒を見ています。他の先生方も同じだと思います。ダンスクラスは踊りを踊るところであり、学ぶところであり、すきな人を見つける場所ではない、とわたしは考えます。もちろん、好きになる人もたまには出てくるでしょうけれど、それはおまけであり、本分ではないと考えます。第一、好き嫌いで判断していたら、好かれなかった生徒は浮かばれません。そして、感情的に芸を教えることは、芸にたいしての冒涜だと考えます。
それに、誰かに認められることを目指すことの一番危険なのは、自分を認めてくれる人がいつも必ずしも正しとは限らない、ということです。人間とは不完全であり、間違いも犯しますし、だいたい、自分の頭で「このひと」と思えるひとは、そのひとの頭の限界でしか考えられないので、認めてくれたところで、そのひとの判断が正しいかどうか、なんて分り得ないのです。それに頼るということは、自分を見失う、ということです。 ヒトラーのことを多くの人があの時代のドイツでは「認めて」いましたし、賛同もしていましたが、何百万というひとの命を残酷な形で奪いました。けれど、その時は、多くの人が認めていたのです。このように、人間は過ちを犯す存在であり、そこに認めてもらうことを求めることは非常に危険であり、本質からずれていると考えます。けれど、一流にはなにも寄せ付けない、ひとの判断を越えたなにかがあります。
しかし、一流を目指すのは、芸を極めるのは、一筋縄ではないことも記しておきたいと思います。条件、才能、努力、時間、多くが必要とされ、非常に大変なことです。正直、日本の現状では、アフリカンンダンス/ドラムにおいては、誰も目指すことはできないと思われます。週に数回のレッスンを受けても、年に一度アフリカに行っても、なれません。もしやるなら、アフリカに10年住んで毎日踊るとか、NYで10年以上住んで毎日レッスンを受け、カンパニーに入団するとか。しかしそれでも、なれるとは限らないのです。こういっては身も蓋もないかも知れませんが、実際に、一流とは難しいことです。それにもし、日本でなにかの一流になりたかったら、アフリカンはやめたほうがいいと考えます。もう少し条件の整った、日本の伝統芸能などをやるのが良いと思われます。けれど、一流を誰でも目指す必要はありません。それに、一流だけが良いわけでもありません。ひとにはそれぞれ合った道というのがあります。
そして、一流を目指すのではなかったら、楽しむことを目指すのが良いと思います。楽しむ、も簡単ではありません。一流ほど難しくはないかも知れませんが、それでも非常に難しいものです。
前の晩に彼氏と喧嘩をしたらそのことが気になるかも知れません。お金の心配をするひとだったら「これだけ払っているのだから」といちいちレッスンの内容が気になるかも知れません。体の調子がいつも良いとも限りません。職場のことが頭から離れないかも知れません。周りに自分と波長の違うひとがいて気になるかも知れません。上達するには時間がかかるので、焦る人もいるかも知れません。それこそ、ひとと自分の力量をいつも比べたり、先生が自分のことを好きかどうか気にして、踊ることに集中できないかも知れません。
ひと言に「楽しむ」と言いますが、これは、瞑想で無の状態になるくらいに難しいものです。人間とは煩悩だらけですから。平凡でいることが難しいのと同じです。楽しむことを知るには、続けること、焦らないこと、そしてそのことに集中する力が必要です。
なにごとも、なにかをやろうとすると容易ではありません。生きているだけで大変なのですから、楽しむのはもっと大変。一流なんて・・・相当な変人奇人が目指すものです(笑)。でも、かと言ってなにもしないのは、生きていないと同義ですから、やるしかありません。その中で、現実を冷静に見極め、自分はなにを目指し、どうありたく、どうしたいのか、を自分に問い続けることだと思います。そして、なにより「一番になること」「誰かに認められること」を目指すことほど、短絡的で間違った芸との向い方はない、ということを、わたしはみなさんに知っていただきたいと思います。そう言う意味で、「世界にひとつだけの花」には深い意味があると思います。踊りを踊ることは、自分の中の「花」を見つけ、それを咲かせる方法のひとつを見つけることだとわたしは思います。名もない雑草の花と大輪の百合を比べることに意味がないように、踊りにも、一番や二番はありません。踊りを踊るということは、精一杯それぞれの花を咲かせることだ、とわたしは思っています。
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