先ほどメールボックスを開けたら、ある女の子からメールが来ていました。考えさせられることが書かれてありました。ある、アフリカンダンスのクラスに行ったときのことだそうです。クラスが終わってみんなでわいわい着替えていると、アフリカ人の先生が布やアクセサリーを取り出して、買ってほしいようなそぶりをしたそうです。ところが、生徒のひとたちは、それまで先生にニコニコしていたのに、日本語で「アフリカのひとってすぐひとにモノを売りつけるからね」と陰口をたたいたそうです。
これは、よくあることです。この女の子はあまり日本のアフリカンの界隈に慣れていないので、その陰湿さに驚いたようですが、わたしには耳慣れていたことでした。顔でニコニコして、日本語で辛辣なことを言ったり、裏でうわさ話をするのです。確かに、わたしも最初のうちは驚きましたけれど・・・よく見渡してみれば、それはアフリカンの界隈だけで起こっていることではありません。日本の社会で起こっていることのように見受けます。ですので、多分、ここで「アフリカのひとたちって・・」と発言した女性は、全く悪気はないのだと思います。ただ、それは非常に危険なことだと思っています。特にある事件が最近あってからは考えさせられています。
それは、ある知人との間に起こったことです。この知人はわたしが以前からよく付き合いのあった女性で、わたしは友人だと思っていました。ところが、この女性は、わたしのことを陰でさんざん悪口を言っていたのだそうです。しかも、わたしは、この女性のもう一人の友人の女の子(Nちゃんとします)の悪口をずっと聞かされていたのです。
あることがきっかけで偶然わたしはこのNちゃんと直接話す機会があり、この女性には裏と表があったことが発覚したのです。ショックでした。それで、わたしは3人で会って話をすることを提案しました。だって、また誤解があっては危険だと思ったからです。それで3人で会い、直接彼女に聞きました。
「あなたはわたしにNちゃんのことを、あの子はスター気分だからなにもしない、とか、あの日は『勝負化粧してクラスに挑んでた。爪先から頭から化粧までばっちりして!』と言っていたよね。でも、Nちゃんは、たまたま公園で通りかかったら髪を編んでくれるひとがいたから編んでもらっただけで、誰かと勝負する気なんてさらさらないらしいんだけれど・・・どういうつもりだったの?」
そうしたら、女性は言ったのです。
「あたし、てっきりそうだと思ってた。」
彼女は、Nちゃんがその日、ダンスクラスで目立つために、勝負するために化粧をばっちりして髪型もキメてマニキュアもしてきたのだと本気で「思い込んでいた」のです。だから、それを平気でわたしにも言っていたのです。「Nちゃんは勝負するためにあの日はばっちり化粧してきてた。」と。
これは、「アフリカ人って・・・」というのと同じです。多分、これを言った人は真剣にアフリカ人というのは、外国人の顔さえ見ればモノを売りつける嫌なところのある奴らだ、と思い込んでいるのでしょう。日本人の「常識」から言うと、ダンスの先生や一般人が生徒や周りのひとにモノを売るというのは、少し疎んじられるものだからです。なぜかというと、日本では江戸時代から商人は卑しい存在であり、一般のひとがお金を扱うことはタブーとされています。これは、儒教の影響も強くあるでしょう。ですから、百姓が自分の作った米を自分で売ることをあまりよしとはされず、芸術家が自分の絵を自分で値段をつけて自分で売ることもよしとはされません。百姓はひたすら腰を折って田畑で汗を流し、芸術家というのは「浮き世」からは離れていなくてはならない、という「妄想」があるからです。また、流通のシステムが確率されている日本では、モノの値段が一定化されており、ほとんどすべてのものに「定価」がついています。そして、いつも本人たちはなにも生産しない、商売人という仲買の人間がいて、お金を専門に扱っています。
これに慣れている日本人にとって、一般人が直接「これ、買って」と、いい、値段が上がったり下がったりすると拒絶反応を起こすのでしょう。しかも、日本では「先生」は神聖化されているところもあるので、ダンスの先生がモノを売るなんて・・・自動的に批判の的となるのでしょう。
今朝(日本の夜時間ですが)メールを読んで、2つの事件には大きな関係性がある、と気づいたのです。アフリカ人のことを阿漕(あこぎ)だと思う日本人と、化粧をすれば「勝負している」と思う女性。両者とも、自分にとっての常識だけで相手を判断しているのです。この女性こそが、化粧をするときはほかの女たちと勝負しているのでしょう。そして思いました。大切なのは、思っていることを一度箱の中から出して検証してみることだ、と。人間というのは、思い込みの動物です。自分の思っていること、考えていることが一番で、周りのひともきっと自分と同じように思っているに違いない、と思い込みます。ですが、ほとんどの場合違うのです。ですから、認めたくなくても、寂しさを感じても、面倒でも、一度疑ってみることです。お金も化粧も、常識はひとにより、時代により、そして場所によってそれらに対する考え方は違うのですから。
わたしも反省しました。女性のいうことをそのまま鵜呑みにしていた自分を。「友達」となると、盲目的に相手を信じる傾向がわたしにはあり、また、化粧に関して疎い分だけ、そんなものなのか、と思ったのです。「化粧のことは、わたしにはわからないけれど、そうなんだ・・」と返事した自分がいました。そこで女性は「そうよ!」と言い、わたしはそのまま「ふーん」と、受け止めたのです。多分、「アフリカ人って・・」と言うのを聞いていた周りのひとたちの中にはそのまま信じてしまった人もいるでしょう。特に、アフリカの文化や状況に詳しくない人に限って。しかし、疑わなくてはならない。そう思います。そして、確かめてみるのです。相手の真意を。
これを考えるとき気になるのは、今の日本社会で難しいのは、多くの人が内向的になり、自分の思っていること感じていることを発言する場所や機会がないことです。この女性も、自分がNちゃんの化粧のことをそう思っていたのなら、Nちゃんに直接言えば良かったのです。「Nちゃん、勝負化粧して行ったんだって?」そうしたらNちゃんはきっと答えたでしょう。「そんなんじゃないよ。」それで、女性の妄想と誤解はそこで解け、友情はきちんと成立したことでしょう。また、アフリカ人の先生にも表でニコニコして陰で言うのではなく、「先生はなぜ生徒のわたしたちにモノを売ろうとするのですか。」と批判でははく、好奇心で聞ければいいと思います。そうすると、先生はアフリカの経済状況、女性の置かれた立場などを話してくれるかもしれません。感情的にならないことがまずとても大切だと感じます。
しかし、日本社会はかなり病んでおりそれが難しいことであることもわかります。Nちゃんは、女性に聞きました。「あなたが同じように友人に裏切られていたらどう感じますか?」女性は間髪おかずに言いました。「わたしもこれまで自分の大切なことをひとに言ってそれを歪んだ形で暴露されたり、あらぬことで噂されたりしょっちゅうだったから、別に・・・」反省の色はありませんでした。それがまるで当たり前のことのようでした。
この女性のケースは極端かもしれませんが、一般的に多かれ少なかれ同じような傾向にあると思います。モノを売ろうとするアフリカ人のことを揶揄(やゆ)するのも同じです。そしてそれが暴走すると、多くの恐ろしい事件や精神的に病んでいるとしか考えられない出来事へと行くのだと思います。事件の多くが、思い込みが強いことと、素直に自分の気持ちが伝えられないことに、大きな原因があるように思います。
今、世の中は大きく動いています。それは、日本だけではなく地球的規模で起こっています。NYのわたしの周りの多くの人が職を失い、これからの生き方について考えています。そして、交通機関とインターネットの発達により、国境がはすでになくなっている状態です。そんな中で、いろいろな価値観や考え方が互いに遭遇し、ときには融合して、そして多くの場合衝突を起こしています。その端的なものが戦争です。そんな中で、ずっと内向的であり、思うことも言えず、妄想だけをふくらませて進んでゆくと大変なことになるとわたしは思います。
実際に、わたしたち3人は、衝突を起こし、暴力は使わなかったけれどある意味戦争を起こしてしまいました。3人とも、それぞれに傷ついたはずです。彼女の言葉の数々を今でも思い出すだけで背筋が冷たくなります。わたしは、この女性のことを闇雲に責めるつもりも復讐をするつもりもありませんが、友情は終わりました。
この数年繰り返し言ってきているように、時代は星の位置からも大きく変化しています。冥王星の力やブラックホールの影響もあり、また、マヤカレンダーの終わり、などと併せて、もう時代遅れなものや不誠実なものはどんどん闇へと落ちてゆくと言われています。そして、人間がそれに気づいて変化をしないと不幸な事件は起こり続ける、気づかなければそのまま破滅することになると予言されています。わたしたちの友情が終わったように、あちこちで破壊だけが続くと確かに破滅するだろう、とわたしも思います。
破滅が運命として逃れられないものならば、そのまま受け入れようと思いますが、少なくとも自分自身は、破壊の後の再生をめざし、なるべく正直に生き、信頼できるひとたちと手をつないでゆきたい、そう思うのでした。そしてなんと言っても「対話」というのは、本当に大切だなと改めて思っています。
わたしは、人の噂は聞き流します。で、一応参考にします。で後自分で確かめます。
そして自分で総合的に答えを導きます。
特にオナゴが語るオナゴの噂話は嫉妬とか、外見がどうとか、彼氏がどうとか、あたしゃには、全くオモロナイ!!
わたしは例えば他人が気にくわない事をしていて、伝えたい時は、感情的にならずにいられる時に、ひと呼吸おいて、逆に爽やかを装い言います。影では言いたくないし、言う意味がありません。
直に本人に言います。
分かり合おうと思って伝えれば、大丈夫とおもいます。
けど、たいがいの女の子は陰湿だな~って、思います。
わたしの友達もよくアフリカンシーンのオナゴの陰険さをたまにわたしに言ってきます。
環境は良くないと思います。
音楽、舞踊を学ぶ場なんだからさ~って!!呆れます。
特に東京のアフリカンシーンは明るくない!
なんか陰。と違う土地からきた友達は第一声言ってました。
けど、たぶん、大よその人達はそれをあまりわからないとおもいます。
ずっとそういう陰な何かを背負って生きてきたのかな?
もっと本当に素直にココロかよえる、事、方法があるのにな。とか、思います。
みんな仮面を幾つもかぶりすぎ。
投稿情報: oto | 2009年8 月11日 01:36