
horigome君、lotusspotterさん、コメントありがとう。horigome君、あなたのお母様のふるさとでもあるこの町はいいですよ。今も、カリンの実の垂れる窓の前でこれを書いていますが、さまざまな鳥や虫の声がしています。鈴虫も、東京の鈴虫よりも元気です。声高く力強く、歌っています。写真は退屈でない、と言ってもらって良かった。これからも載せちゃいます。 lotusspotterさん、お久しぶりです。やはり踊るっていいですよね。お元気そうでなによりです。星の話ももっと沢山したいのですが、なかなか時間がとれず・・・でも、読んでくださってると聞くと、よ〜し書かなくっちゃ〜って思います
さて、昨日は、治療師のおじさんのところに再び行きました。このひとは、ずいぶん前に「魔女シリーズ」で紹介したひとで、遠隔治療もできる、恐るべしヒーラーです。近所のおばさんは、ガンも治してもらいました。わたしの実家から電車でコトコト行って1時間半くらいの小さな町にいらっしゃいます。昨日も電車を乗り継いで行ったのですが、いろいろなひととの出会いがありました。まるで、お遍路のときのようでした。まず朝一番に、駅に行く途中の谷の下で、虫取りネットを抱えた麦わら帽子のお百姓のおばさんと出会い、無農薬で作る野菜の難しさや、美味しさの話をして別れ、それから次々に出会いがありました。中でも一番こころの動かされたものを、ご報告したいと思います。一日が終わってベッドの上に座って思い出したら、じんわり泣けてきました。
それは、帰りの電車でのことです。単線電車に乗り換えて座りました。小さな電車で、田舎の集落や町を通り抜けてゆくものです。座ったら目の前に中学生の4人組が座っていました。この電車は横向きの席と向かい合わせの縦の席が混じっているので、横向きに座ると、目の前に向かい合わせの席を見ることにもなります。わたしは、偶然、その席に座り、彼らを真っ正面に見ることとなりました。
ひとりの男の子が、前に座っている男の子を足で羽交い締めにしていました。最初はふざけているのかな、と思ってわたしもわらっていたのですが、どうも様子がおかしい。痛そうだったからです。わたしは、相変わらず、思いが隠せないタチなので、驚いた顔になってしまいました。すると、やっている男の子が、目を丸くしているわたしの表情に気づき、こちらを見ました。わたしは、まっすぐに彼の瞳を見ました。男の子の目は暗く、尖っていました。どきりとしました。この子は傷ついているのだな、と思いました。そして、その眼光の鋭さは怖いものでした。
男の子はまた前を向き、その子を虐め続けました。
「お前、なんでここにいるんだあ?お前を見るとイライラするんだよ。誰が来ていいなんて言った?」
足でお腹を押さえつけます。
わたしは見つめ続けました。どこでどのように止めたらいいのだろう、と考えていました。そして、彼らのことを観察しつづけました。
彼はわたしをチラリとまた見ました。わたしは、彼の瞳を見返しました。
彼は周りの仲間たちに「なんでこいつ、ここにいるんだ?」と、聞き、説明を求めました。ひとりが、一緒に来たい、って言ったから・・・とボソボソ説明していました。「ふうん」と応えると、また、足でお腹を押していました。そして、隣の子まで一緒になって、つねったりしていました。まずいな、と思って見ていると、わたしの隣に座っていたおばさんが、「あれイジメですよね」と顔をゆがめていました。わたしは、「きっとそうですね」と言って、もう一度彼らのほうを見ました。彼は、わたしをチラチラ見続けます。わたしは、そのたびに彼を見つめ返しました。目をそらしてはいけない。そして、責めるのだけはやめよう、と思っていました。
一人前のようにしていますが、まだ幼い子供です。「お前の顔見るとイライラするんだよ!」なんて言う子というのは、たいてい、家で誰かにそう言われているか、愛の少ない生活をしている子達です。虐めるほうの子というのは、不幸な子がほとんどなのです。だから、ただ、目をそらさないでいてあげよう、と、思いました。すると、何度も何度もこちらを見るので、そのたびに目を見返しました。すると、足がゆるみ、虐めるのを止めました。良かったな〜と思ってみていたら、素敵な川の前を通り、彼らが美しい一枚の絵に見えました。あぁ、写真に撮りたいな、と思ったのですが、すぐにきっかけをつかめずに、しばらく待ってから立ち上がりました。一瞬、驚いてこちらを見上げた彼らに聞きました。
「ねぇ、写真撮ってもいい?」
「なんで?」「いいよ」「えぇ?」「写真?」
同時に声が上がりました。しかられるかと思ったら、いきなり写真だったから驚いたのかも知れません。ひとりが「いいじゃない」を連発し、みんな同調して、撮らせてくれることになりました。そして、最近の子はカメラを心得ていて「カメラのほう向いちゃダメだよ。自然にしよう。」と言って、それまで通りのポーズをとってくれたのでした。デジカメだったので、撮った後画像を見せたら喜んでました。そうして、撮り終えてしばらくすると降りてゆきました。「さようなら、ありがとうございました!」と、元気に仲良く降りたので、ほっとしました。するとすぐに、窓ガラスをどんどん!とたたく音がして振り向くと、彼らが笑顔でこっちに手を振っているではありませんか。そして、発車と同時にこちらに向かって手を振りながら走り始めました。わたしは、泣きそうになりました。
子供のいじめの構造はとても複雑だとこの短い出会いの中で気づきました。はっきりと言葉にして「お前なんか」という子供は、まだ、キズが浅いのです。黙って、横から爪を立てて言葉もなにも発さない子は、最後まで笑うことがありませんでした。一緒にいて、わたしを見て謝るような情けない笑顔を送ってきた子もいました。けれど、彼には、止めることもできないのです。そして、虐められる子というのは、昔からそう変わらず、どこかタイプが似ている。
わたしが育った町は、どちらかというと文化的なところで(好きな田舎の風景しか映していませんが、実は、長屋や商店の並んだ表通りがあり、昔は藩校があったりして栄えていた。)あまり格差のないところでした。けれど中学に上がると、いろいろな生徒が周囲の集落から来ていて、荒れていました。いじめや格差はそのころからあり「ワル」と呼ばれる子たちもいました。ワルと言われる子は、たいてい外の集落から来た、恵まれない家庭の子でした。それほど陰湿ではありませんでしたが、確かに勢力争いがありました。わたしは、そのどこにも属さず、そのせいか怖がられていて、廊下を歩けばみんなが左右に分かれるので「前田が通れば道ができる」と言われていました。いえ、ホントに悪いやつではなかったのですよ・・・(笑)ただ、言いたいことを昔から率直に言うほうだったし、いつの間にかそうなってしまっていただけで・・・ホントです〜。でも、だから、分かるのです。彼らの痛みが。どこにも属さなかった分、みんなと付き合いがあり、ワルと言われる彼らの生活状況も知っていたからです。そして、優等生なんかより、彼らにこそ純粋なところがあったのも、知っているからです。
今の世情は、わたしが育った頃よりももっと悪くなっていると感じます。少年たちの目の色の暗さが深くなっているからです。横から爪を立てるような陰湿な子は、わたしの時代にはいませんでした。わたしも、わたしの周りも十代のころは多感で、どこかに憤りや不安を感じていました。けれど、今の子は、どこにも行き場のない空気を持っています。周りの大人が「しかと」をするからかも知れません。昭和には、隣組があり子供会があり近所のおじさんやおばさんたちが、子供のことを見ていて、悪いことをする子がいたら「コラ〜!」と追いかけていましたし、春と秋には祭りがあり、七夕やお神楽などの季節ごとの行事があり、夏の暑い昼下がりには、スイカをくれたりしていました。しかし、今、乾いた大人社会の中で、子供たちは孤立しています。そこには、救いがないのではないでしょうか。昨日の電車で、目をそらさなかった大人はわたしだけです。そして、声をかけたのもわたしだけでした。みんな、怖がっているのです、大人が。そして、目をそらしているのです。自分たちの作った子供社会から・・・。
けれど、昨日、確信しました。彼らの反応は早かったのです。わたしの視線だけで、やめたのですから。すぐに笑顔になったのですから。あぁ、彼らをみんな抱きしめてあげたい。そんな衝動にかられました。そして、確信しました。
大人が変われば、子供はきっとすぐに変わる。
走りつづける少年たちに、わたしはこころでエールを送りました。
負けるんじゃないよ。幸せを祈ってるよ。バカな大人のまねするんじゃないよ。がんばれよ。そして、ありがとう!
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環境が変わってあまりに嬉しいので借りたカメラで毎日写真を撮っています。楽しい・・・ あぁ、いつか、脱東京!を夢見ています。
幼い頃から大好きな景色などをまた載せます。退屈〜ってひともいるかも知れませんが、とりあえず、わたしは嬉しいのです。
平家の落人の谷の風景です。ここは歩くたびに、この町で育った良かったな、と思うところです。
母の着物。帯締めやいろいろを先日見せてもらいましたが、日本の工芸美術っていうのはやはり素晴らしく、今日の工業発展を支えたのだな、と改めて思いました。
竹やぶの隣で育ちました。笹のずれる音を聞くと、こころが落ち着きます。どこからか笛の音が聞こえてきそうな気がするのです。
庭続きの隣の家の畑にあるかぼすで作った、ホットかぼすドリンク。おいしくって、体に染み渡ります。・・・贅沢な幸せを噛みしめています。
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この急な坂を下ってゆくと小さな沢があります。そこで、幼い頃ひとりで、沢ガニを採っていました。沢ガニは雑菌だかなにだかが多いから食べられない、といわれていました。でもよく採りに行きました。そして、「食べれるんやろう?」と言っていました。困った母は、バケツの水にいれてとっておいて「明日食べようね」と言って、わたしが夜眠っている間にまた放していたようです。そして「あら~、いなくなったわね~」と知らんぷりしていました。父は、お前が見つけてくるカニはきっといつも同じカニなんだ、と笑っていました。
それでも懲りずに採りに行っていました。そうして、いつも小さなバケツに運んで帰るのでした。たいてい、澄んだ水の岩の下にいるのです。沢の周りは竹やぶで、さわさわと音を立てていて、水が高いところから流れてきていて、そこでひとりで過ごすのが好きでした。
この辺りには、峠の下にへばりつくようにしている小さな集落があり、昔々、平家の落人が逃げてきて作った集落として伝えられています。農民として暮らしていますが、集落の真ん中あたりに小さなほこらがあって、そこから、季節ごとに笛や太鼓の音が聞こえてきます。そうして、遠い過去からの平家の音を運んでくるのです。
今はこの坂道も、こうしてセメントで固められていますが、昔はでこぼこで雨が降るとずるずると落ちそうな道でした。けれどいつの頃からか、沢の底もセメントで固められてしまって、沢ガニもいなくなりました。昭和と平成の狂気が、小さなカニたちと外で遊ぶ子供たちをどこかへ追いやってしまったのです。
実家に戻っています。福岡での滞在の様子をブログに書こうと思ったのですが、忙しくて書けず・・・かいつまんで書くと、毎日お昼から夜中まで働いていました。そして、中洲の美味しい屋台で食事をしたり、衣装を買いに行くので天神で買い物をしたり、典型的な博多の時間を送りました。終わったらヘトヘト・・・で、いつも診てもらっている治療師のところに行きました。なんと・・・!肝臓がめちゃくちゃになっていて、大変なのだそうです。このごろ疲れやすいし、じんましんは出るしおかしい、とは思っていたのですが・・・いやはや。
それで、少し実家でゆっくりしています。朝、少し重い頭と体を起こしたら、ゆっくり深呼吸して顔を洗い、階下に降りて玄米粥を火にかけたら、外に出て炉に火をつけます。その横で本を読みながらお湯が湧くのを待ち、シャワーを浴び、その後お粥を食べました。東京でも、シャワーを浴びるのに炉をくべるところ以外は、そう変わらないパターンですが、ここには、美しいものが沢山あります。鳥が鳴き、虫が鳴き、木々の梢のずれる音がし、風の音がします。自然の中で生きている実感があります。そして、ひとがいつも集うので、「あ~ひとりになりた~い!!」と思うことはあっても、寂しいことは決してありません。そして、時間の流れを感じることができます。
落ちてきた小さな小枝を集めていると、昔からひとはこうやって枝を集めて火を灯し、そこから風呂をわかしたり、料理をしたんだな~と感じます。山の中に入り、家で待つお母さんのために兄弟や近所の仲間と一緒に小枝を集めた子供たちの息吹が聞こえるようです。疲れやすいので、食事が終わったら二階に上がりました。(一階は人の出入りが激しいのが我が実家)、二階のトイレにあった本をふと手にしてみると、そこには素敵な言葉があちこちにありました。
その中でも特に、いいな、と思ったのは「ひとがあげられる一番のプレゼントは時間をあげることだ」という一文です。忙しい現代社会では、誰かが誰かに時間を割いてじっくりとつきあってあげるってことはなかなかできないでいます。その本の中には、イギリスに住む友人が、手作りの美しいカレンダーをクリスマスに送ってくれたことが書かれていました。ドイツに住んでいたとき、ルームメイトのベティーナが、家族と恋人に一編み一編み靴下を編んでいたのを思い出しました。あぁ、わたしもこころのこもった大切な時間を過ごしたいな、と思ったのでした。
燃える火の横で本を読む。二宮金次郎は、いつでも読書をしていたとしてたたえられていましたが、自然の中で読むのはなごむものです。
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国内線というのは、気安い。このところ国際線ばかりに乗っていたから、手荷物検査やいろいろが面倒でそれに慣れていた。ところが、国内線は緩い。そして、飛行機の中もがらがらでゆったり。ただ、喜んでばかりもいられない。JALで飛んだけれど、経営難。スチュワーデスさんたちは、みんなきれいにお化粧して、優しい笑顔。一機飛ばすのに、相当の燃料と経費がかかるはず。わたしの昔の上司、オノヨーコさんは、書いてもよいとおもうが、NYから5〜6時間でゆけるバケーション地のカリブに行くのに、ジェットを借り切っていた。滑走路とジェット飛行機一台で、片道数千万円した。そう、百万のファーストクラスに一生のうち乗れるか乗れないかの庶民とは全く違う生活である。ま、それは、良いとして、とりあえず、ジェット機が一機飛ぶのにはかなりのお金がかかるということである。日本の飛行場は整備もされているし、それだけでもお金がかかる。しかし、ひとり1万5千円くらいの飛行機代しかはらわず、客は数十人。これでは、採算があうわけがない。これからは、本当の意味でスローライフが求められるんだろう。あちこち、飛行機でいつでも行く時代は、終わりがくるのかも知れないな、と感慨にふけった。
飛行場に着いてホテルに向かうのに地下鉄に乗ったら、目の前にこの広告。コンサートの告知である。キョードー西日本というのは、このあたりでは一番大きな企画会社だが、昔からあった。そして、大きなコンサートは大抵ここが仕切っていた。電車の中にこの広告がまずあるあたりが、さすがに音楽の町、福岡だ〜、となんだか感動した。
上司の命令で(笑。でもホント)出演者のスイス人たちを温泉に連れて行き、さんざん満喫した。スイス人やドイツ人は、スパに慣れていて、町のあちこちにサウナ付きのバスハウス(共同浴場)があって、風呂には慣れている。みんなで楽しんだ。外にも温泉があって、とても気持ちのよいところだった。裸で横になれる空間が外にあって、ほてった体をゴロンと横たえたら空が見えた。「あ〜、父ちゃんが空に帰ってゆくな。」としみじみ感じ、また涙が出てきた。この写真の店は、温泉の前にあった。果物や野菜があった。
温泉の前のジム。ここも東京と違って広々としていて気持ち良さそうだった。夜がふけるまで、スイス人たちと(彼らの通訳/ケアが今回のわたしの仕事。)演劇のこと、今回の仕事のこと、チューリッヒの話、演出について、コスチュームについて、いろいろ話しをして、終わった。
旅は好きだし、ホテルに泊まるのも普段は好きだけれど、今夜はなんだか辛い。市内中心部にある、きれいなホテルなんだけれど、、、家で寝たいな、と思った。とーちゃんの死が堪えている。身内の死は、まだ数えるほどしか経験していないが、つくづく辛いものだ。けれど、この痛みを抱えたまま眠るしかない。いつか癒える日まで・・・。おやすみなさい。
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飛行場に1時間半も早くに着いてしまった。
午前中にアポがあり、それを済ませて来たら早く着いたのだ。
家にやり残したことが沢山あるのに、ここで1時間30分も・・・と、正義感がイライラし始めた。
おばさんは、キッチンにある、冷蔵庫に入れ忘れた野菜と果物が腐る・・と悔やんでいる。
午前中のアポは午後に移行すればよかった、アポの場所から羽田がこんなに近いんだったら、午後にしていても午後3時の飛行機の出発時間には間に合っていたはず。
そうすれば、図書館にもゆけたし、携帯会社にも行かなくちゃならなかったし、ご近所にもらった野菜も、生協で買った美味しい柿も落ち着いて冷蔵庫に入れていただろう・・・あんなに慌てて朝早くでなかったら全部できたはず、そして、ここで無為に過ごすこともなかった・・・と、言う。
今思えば、確かに、そうだっただろう。
しかし、わたしは、これまで羽田を使ったことがあまりない。
たいてい成田から国際便に乗るばかりで、羽田はよく知らない。
だいたい、羽田にソフトバンクのカウンターがないことさえ知らなかった。(成田にはある)
早めに用心してきたかったのだ。
そう言って慰めている。
そして、起こったことをクヨクヨ悩むよりは、「今」なにができるか考えようよ。
そうそう、これは経験として次に生かそうよ、と芸術家と女王とオヤジが言う。
羽田がこんなに近いなんて知らなかったのだから・・・次は、もっと効率よくできるでしょう。
そうなんだけどね、でも・・・と、おばさんは、来週戻ってきたらきっとゆるゆるになっているだろうキッチンカウンターの柿を、いつまでも思い浮かべている。
頭の中はけんけんがくがく。
どうも、やることが多すぎ、いろいろなことが起こりすぎ、落ち着かない。
キャラたちは、互いにああでもないこうでもないと言い合う。
このごろ思う。
けんけんがくがく、は、わたしの中のキャラたちだけではない。
世の中ひっくり返っていて、加速度的に時空が歪んでいる。
先日、自転車で久しぶりに近所を走った。
ジムに行ったり、図書館に行ったり、用事をしたのだ。
ところが、たった10分も走っていないのに「間一髪」という瞬間が数えたら5回以上あった。
ほとんど周りを見ずに走っている自転車や車が、ものすごく多いのだ。
信号を完全に無視していきなり曲がり角から出てくる車。
右は見るけれど左は見ずに発進しようとして、あやうくわたしとぶつかりそうになった車
「止まれ」の記号も無視してわたしに突進してきた自転車。
歩道を猛スピードで走って、いきなり前触れもなく目の前で曲がった自転車。
歩道からわたしの前を突然横切って走り出てきた歩行者。
・・・とにかく、いろいろ。
何度、急ブレーキを踏んだことか。
その人たちは、みな表情が共通していた。
固まっていたのだ。
ほぼ無表情。
周りが全く見えていない、または見てない。
怖かった。
それにしても・・・こんな町だったっけ?
と、不審に思った。
とにかく前をちゃんと見て、五感を使いながら周りを感じながら走らなきゃ、命がいくつあっても足りない・・・そう思って走った。
それは、その日だけではなく、翌日もそうだった。
みんな、おかしい。
なんだかわからないけれど、おかしい。
「平穏なひと」というのがほとんど見当たらない。
It is very difficult to find a person who is 'content'.
占星術的にも、今は、変化の時だと言われている。
大変化があちこちで起こっていて、ひとびとのこころは焦っているのだろう。
わたしも、ある意味同じである。
焦っているというより、やることが多すぎて落ち着かない。
仕事をしながら、自分の情熱を追求する、というのは並大抵のことではない。
日々の生活だってしなくてはならない。
顔を洗ったり、洗濯したり・・
生活がなければ、仕事も情熱も成り立たないのだ。
その上、世の中はひっくり返っているから、次から次にいろいろなことが起こって、身の上に降りかかる。
昨日も忙しく走り回っていたら、電話がかかってきて「とーちゃん」(と、呼んでいた。実は、義理の父だった。)が死んだので、今夜通夜だ、と突然言われた。
とるものもとりあえず、着替えて霊場に向かった。
泣きすぎて頭ががんがんするほど泣いた。
そして、戻ってきて、作業の続きをやった。
寝る前に今日からの出張のために荷造りをしたが、どの服を入れたか、今朝家を出たとき記憶にもなかった。
朝、目覚めたとき、悲しみで胸がうずいた。
そうしてこれから4日間、濃度の濃い仕事の日々が始まる。
息をつく暇もない。
本当は家でのんびりする時間が週の半分は欲しい。
でも、そうは、現実としてはゆかない。
その中で思うことがある。
今日のことも同じだけれど、この時代を生きる身の処し方というのがあるのではないか、と。
穏やかでいる方法があるのではないか、と。
どんな瞬間でも可能なはずなのだ。
穏やかでいること。
To be content.
ある、アメリカ人仏教家の本に書かれていた。
「たとえ、ナチにガス室に入れられる瞬間でも、ひとは、こころもちしだいで穏やかでいることはできる。」
そのことについて、しばらく書いてみようかと思う。
福岡行きの旅についても書きながら。
きっと、今のように、ふと時間が空いたときに・・・。
・・・・
写真上:羽田空港
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