この急な坂を下ってゆくと小さな沢があります。そこで、幼い頃ひとりで、沢ガニを採っていました。沢ガニは雑菌だかなにだかが多いから食べられない、といわれていました。でもよく採りに行きました。そして、「食べれるんやろう?」と言っていました。困った母は、バケツの水にいれてとっておいて「明日食べようね」と言って、わたしが夜眠っている間にまた放していたようです。そして「あら~、いなくなったわね~」と知らんぷりしていました。父は、お前が見つけてくるカニはきっといつも同じカニなんだ、と笑っていました。
それでも懲りずに採りに行っていました。そうして、いつも小さなバケツに運んで帰るのでした。たいてい、澄んだ水の岩の下にいるのです。沢の周りは竹やぶで、さわさわと音を立てていて、水が高いところから流れてきていて、そこでひとりで過ごすのが好きでした。
この辺りには、峠の下にへばりつくようにしている小さな集落があり、昔々、平家の落人が逃げてきて作った集落として伝えられています。農民として暮らしていますが、集落の真ん中あたりに小さなほこらがあって、そこから、季節ごとに笛や太鼓の音が聞こえてきます。そうして、遠い過去からの平家の音を運んでくるのです。
今はこの坂道も、こうしてセメントで固められていますが、昔はでこぼこで雨が降るとずるずると落ちそうな道でした。けれどいつの頃からか、沢の底もセメントで固められてしまって、沢ガニもいなくなりました。昭和と平成の狂気が、小さなカニたちと外で遊ぶ子供たちをどこかへ追いやってしまったのです。
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