今朝、思い出したことがある。
随分前に、マルガリータ(ワシントンDCの占星術家)に言われたことだ。
「この時期をのがすと、後で壊そうと思ってもなかなか難しいから、辛く感じるかも知れないけれど、受け入れることね。」
わたしの星の動きは、実は5年以上前から崩壊の時期に入っていた。
それまであった余計な既成概念や、壁が一気に崩壊する時期に入っていたのだ。
そう、破壊と創造の星、天王星、Uranusが活発になる時期だったのだ。
天王星は、水瓶座の力の非常に強い(太陽を含めた3つも重要な星が水瓶座にあり、しかも天上が水瓶座で、わたしは水瓶座の力を強くもって生まれた。)わたしの守護星でもある。
崩壊?
そうですか。
受け入れましょう。
と、なり、わたしは、家のものをすべて倉庫に入れ、住所不定となり、世間から身を隠し、ふらふらし始めた。
この間に、70年代から続くコミューンに住み、ビルの清掃の仕事なんかもやったのである。
お遍路を初めてやったのもこの頃である。
離婚もした。
怪我もした。
別に、離婚も怪我もしたかったわけではない。
そうなったからそうなったのだけれど、この5年の間に多くの崩壊があった。
なので、実は、昨今の崩壊はわたしには大した事ない感じなのだ。
それに、幼い頃から変化の中で生きて来た。
あまりにも長い間壁を崩しながら生きて来たので、自分の中にはもう崩れる壁なんてないんじゃないか、と思えるほどだった。
けれど、まだあったのだ。
それを見つけた時はビックリしたと同時に、ちょっと爽快だった。
この頃、ますます身軽になって来た。
しかし、崩壊は、崩壊慣れ(?笑)しているわたしにでさえ、かなり怖い。
がくがく震える足でやっと立ち上がって、きゃ〜っと叫びながらジャンプする感じである。
けれど、壊れなくてはならないものが壊れるときは、後に素晴らしい開放感と充実のときが訪れるのをわたしは身をもって知っている。
だからこそ、伝えたい。
今は、崩壊のときであると何度も繰り返して来たが、これはチャンスである。
わたしたちがどう抗ったとしても、星は星の秩序をもって動いている。
受け入れることである。
しかも、受け入れるだけでなく、マルガリータが言ったように、違う視点から見ることである。
自分で壊そうと思っても壊せないものを、星星が「壊してくれる」のだ。
わたしたちは、知らないうちに壁を作っている。
いつか、機会があったら詳しく書きたいけれど、ちょっと前のブログでも触れたように、わたしの中にも最近壊れた壁があった。
これは、幼い頃から、そして前世から持ち越して来た壁だった。
傷付いたことがあったため、もう同じことで傷付きたくないという思いが強く、ほぼ無意識のうちに、壁を作っていた。
その側面においては、信じるこころを失い、目をつぶってきた。
それがガラガラ〜っと最近音をたてて崩れた。
それで、セントラルパークの一本の樹の下の岩の上で横たわって泣いた。
そして、今はスッキリしている。
しかし、自分で作った壁だから、自分で簡単に崩せるだろう、なんて、甘い考えは捨てたほうがいい。
自分で作った壁だからこそなかなか崩れない。
例えば、端的な例を出すと、恐ろしく恥ずかしがりやの人がいたとする。
本当は思うことを言いたい。
本当は感じることを伝えたい。
けれど、言えない。
言おうとすると足がすくむ。
心臓がバクバク言い始める。
どうしようもないから、どうせ自分なんて、とか、自分は謙虚だから、とか、日本の文化は大人しい文化だ、とか、言い聞かせて終わろうとする。
けれど、いつもこころのどこかが乾いていて、なにかがあると、ちょっとしたことでも泣けてきそうなほどになる。
諦めようとする気持ちで、壁を作って生き、月日がたち、どうしようもなくなってくる。
この壁を崩すのは、よほどのことがないかぎり難しい。
これは、恥ずかしがりやの例だけれど、嘘つきかも知れないし、怒りっぽい人かも知れないし、人によっていろいろな壁がある。
複数の壁が存在することなんてザラである。
逆に、美しい思い出さえも壊れるときがある。
一生懸命、長い時間をかけて作った関係性や芸術やモノでも永遠に同じところにいることはない。
しかし、変化を恐れ、なにかをずっと抱え込むと腐ってしまう。
時というものは永遠に流れ続けており、物理というのは永遠ではないからだ。
けれど、人間には愛着心があるから手放したくなくなる。
愛着心が執着心へと変わるときである。
それを、崩してくれるのが、今の時期である。
政府も崩壊寸前である。
民意は現在の政治体制から離れている。
医療もおかしい。
教育もおかしい。
自然もおかしい。
それと同じで、多くの人が、個人レベルでなにかおかしさを感じているはずである。
しかし、これは、チャンスである。
新しい政治の形態を考える時である。
新しい医療のかたちを考える時である。
新しい教育の意味を考える時である。
そして、それぞれが、それぞれにあった新しい幸福のかたちを考える時なのだ。
壁というのはなかなか崩れない。
壊そうと必死に壁を打つけれど、出るのは己の拳の血ばかり、ということもある。
ひかりに向って歩こうとしても、壁の中の闇に閉ざされて外に出れないこともある。
だから、今は本当に素晴らしいチャンスのときなのだ。
壊れるものがあったら、壊れるにまかせたらいい。
明日、どんな風がふくか、なんて明日になってみないと分らない。
今日、誠実に生きることだ。
今日、壁を作らずいきることだ。
そうしていたら、明日もきっと明日の誠実な一日が始まる。
明日の答えは、明日が運んで来てくれるのだ。
今は、崩壊のときである。
天からの恵みのときである。
この恵みを無視するもしないも、その人次第である。
makutaさんとってもお久しぶりです。
半年、いや一年も間があいたような感覚です。
最近まとめてバッとmakutaさんの日記読みました。沢山の事を感じました。沢山コメントしたいですが、一度に難しい作業でしたから、心に沢山刻みました。いつかの未来にお話できたら・・って。
ソウルメイト、のお話。相当大変な感情が起こり、解決されないまま凄くモヤモヤしてとても大変だったと思いました。そして謎が解けかけてそしてまた一時期とても辛かったと思います。・・けど今はホッとした安堵の気持ちでおられるかしら。。と思います。殻を破れれたかな?少し自分を分かることができて元気になられたかな?良かったなぁっ!て思いました。
崩壊。。
わたしも捨てるもの・・本当の自分の求めるものを選ぶ、望むために壊さないといけないものを、さあ!決めた!壊すんだ!よっし!と心に決め一年ほど前、正確に言えば二年ほど前に行動しました。そして最近、見事に崩壊しました。物凄く恐ろしいかったです。
けど壊れかけで、まだ完全に壊れることにはなりませんでした。そして崩壊する数時間前に不思議な事が起こりました。丁度二年ほど前に購入したあたしの左腕にいつもあるクリスタルのブレスレットの糸がビヨ~ン!と伸び切れる寸前で、自分で気がつき完全には切れませんでしたが・・そんな妙な事が起きました。あっ!何か良くない事があるかな?と・・・そしたら、ドッカーン!!ガッシャーン!!って・・・。
完全崩壊を心からは決して望んではいないのです。
今まで通り今までのシステムのままで行けたら本当はいいのです。
・・が、それではわたしは本当に望む自分にもなれないし、幸せにもなれないのです。
今も、毎日恐々生きてます。
今を逃したらわたしも次はナイ!と感じてます。とても辛いですが。。
そんなOTOです。
OTOも五年前から沢山の崩壊がありました。でも結局同じ課題のように思います。
投稿情報: OTO | 2008年5 月25日 23:56
makoutaさんへ
近頃 私の近しい方が以前には見られなかったような様子をみせており、奥様に相談されたのでした。その近しい方は、いつも遠くを見ている方でしたが、結婚や経済面でのことで、近くを見なければならなくなり、今までの自分の生き方とこれから歩まねばならない道とのギャップに混乱しているようです。まさに壊れてしまったかのようにも見えます。
私は以前にも書きましたが、知的障害者施設で働いているため、心が疲れてしまった方へのケアはほんの少し知識として持っています。しかしそれがどうなのか。頑張らせないこと・話の聞き役に徹すること・・・。私も少し混乱しそうになっていました。
壊れるものがあったら、壊れるにまかせたらいい。
今日ブログを拝見し、なんと胸がスッと楽になったことか!
その近しい方と私、まさに自分が必要だと思っていた物・事柄・眼に見えないものにどれだけ悩まされているのだろう。天からの恵みのとき・・・それも今なら実感として分かるような気がします。
勇気を出さなくてはならない。それは自分で気づいたのではなく、気づかせて頂いたもの。
この機会と私に気づかせてくれた人・物事に感謝します。
makoutaさん ありがとう。
Saeより。
投稿情報: sae | 2008年5 月25日 23:06