中毒の定義というのを随分前に精神医学の本か雑誌で読んだことがあり、なるほど〜、納得したことがある。
中毒性というのは何にでもあるそうである。
例えば、食べ物。
カレーが好きな人は、定期的にカレーが食べたくなる。
ある会社のポテトチップスが好きになると、いつも食べたくなる。
カップ麺などに夢中になるひともいる。
わたしは、カップ麺はほとんど食べないけれど、匂いをかぐと無性に食べたくなったりする。
食べ物に含まれる化学物質が、その人の体質や好みとマッチすると中毒性を生む。
けれど、中毒と好みにははっきりとした境界線があるそうである。
毎日カレーを食べても、中毒とは言わない。
変わった人とも、思い込みの強い人とも、退屈な人とも、偏った人とも呼ばれても、カレー中毒患者とは呼ばれない。
では、タバコを吸う人はどうか。
薬物を摂取するひとはどうか。
お酒を呑む人はどうか。
なぜ、カレーだとカレー好きと呼ばれ、お酒だとアルコール中毒と呼ばれるのか。
定義はこうだそうだ。
「健康的、精神的な面において、生活に支障が生まれる場合」
そして
「それがないと生きて行けない、と思い込み、断ち切ることができない状態になったとき」
中毒と呼ばれる。
なので、中毒は、なにもお酒や薬物だけではない。
男女の関係性もそうである。
この人がいなくては生きて行けない、となったら、すでに中毒である。
人間は、相手がいなくなったくらいでは簡単には死なないけれど、そう思い込んで、自分を見失ってしまうことがある。
仕事も同じである。
仕事ばかりしていて、仕事がなかったら、自分が誰か分らなくなる人がいる。
一日ぽっかり空いただけで、虚無感に襲われ、なにかしなくてはいられなくなる人がいる。
要するに、自分を肉体的、そして精神的に見失ってしまう作用があるのが、中毒物の危険のようである。
野球選手のイチローは奥さんの作ったカレーが好きで、いつも食べている、となにかのテレビ番組の特集で放映されていた。
けれど、彼は、それで己を見失うことはないようだから、中毒とは呼ばれないのだろう。
むしろ、彼の肉体は健康で、普通の人よりも、運動能力と反射神経を発揮しているのだから、彼のカレーは中毒性のあるものとは呼ばれず、スタミナ源と呼ばれるだろう。
そこには、彼と彼の奥さんの繋がりも象徴されているのかも知れない。
しかし、仕事ばかりして、一緒にいる愛する人と時間を過ごすこともなかったり、または、愛する人さえも見分けることもできなかったり、お酒を呑んで自分の記憶や気持ちをごまかしたり、タバコで体をどんどん痛めつけたりするのは中毒である。
やめたほうがいい・・・と言いたいが、簡単ではないことも分る。
わたしは、お酒も飲まないし、タバコも吸わないし、薬物系は一切摂取しないけれど、ひとつ中毒性のものがある。
なにか気になることがあると、頭がぐるぐるまわるのだ。
その「気になること」に中毒になるのだ。
わたしにはクスリなんかいらない。
これが始まると、凄いことになる。
まるで中毒患者のように、他がなにもできなくなり、ずっとそのことばかりを考え続けるか、または、やり続ける。
夢中を超えて、完全に中毒である。
これを止めるのは簡単ではない。
しかし、今日から水星が後退し始めている。
生活のペースを落として、ゆっくりするのに良いときである。
新たにことを始めたり、契約ごとをしたり、シャカリキになにかをすすめたり、新しい出会いにはあまり向いていない時だけれど、これまでやろうと思っていてやらなかったことをやったり、旧い友だちと時間をすごして自分を振り返ったりするのにはとても良い時期である。
ゆったり過ごして、自分にとってなにが中毒で、なにが愛や情熱の証しなのか振り返るのもよいだろう。
わたしも今朝から、ここのところ、いろいろあってヒート気味だった頭(水星が支配する)を冷やし、家の中を片付け、本棚の整理(水星は知性をも現す)を始めている。
この水星の後退は、来月の中旬まで続く。
この時期は、コミュニケーション機器(電話、コンピュータ−など)に支障がおきたり、人との間に誤解を生みやすかったりする。
けれど、ゆっくり、焦らずやれば、深い理解ができるときでもある。
少しペースを落とすのに良いときである。
Let's take it easy and enjoy the beautiful weather.
makouta
コメント