まだ、新聞を購入していないので詳しいことは分りません。
お昼のニュースでほんの少しだけ触れていた彼のコメントを聞いただけです。
でも、それだけでも充分情勢は聞き取れました。
ダライ・ラマ14世は、日本人に訴えていました。
わたしはチベットの精神的リーダーとしてこれまで中国と交渉を続けてきたが、平和交渉ではどうにもならない、と悪化する現状に苛立ちを覚えるチベット側からも批判が集まり始めている、と。
チベットは、中国に一方的に侵略され、国を失いました。
そして何万という僧侶と尼僧が殺され、寺院は破壊されてしまったのです。
わたしがこれまで知る限りでは、チベット仏教圏の中で寺院とその教えは人口の調整と精神性を保つために大きな貢献をしてきました。
日本でも次男坊や家で養えなくなった子どもを寺に出した風習は昔にあったようですが、これは、人口のバランスをとるための得策であったと言われています。
そして、非暴力、慈愛、平和を基本としたチベット密教は、自然環境が厳しく、それほど物質的に豊かではないチベット地方でひとびとがこころ豊かにそして平和に暮らしてゆくための知恵で溢れていると言われています。
中国のチベットへの侵略方法は、実は日本がアジア諸国や南洋諸島に侵略したのを手本にしていると言われています。
宗教の撤廃、言語のおしつけなどが代表的なものです。
年老いた韓国人たちが日本語を話し、グアムのオレンジ色の花を咲かせる合歓の樹のような樹が「サクラ」と呼ばれているのはその名残です。
占領下の韓国人は、韓国語を話すことも、自国の旗を持っていることも許されず、もし見つかると日本軍に投獄されたり殺されたりしたので、キムチの瓶の底にキムチと一緒に旗を隠していたのだ、と韓国に行ったときに涙ながらに教えられました。
中国はそのとおりを真似、チベットに侵入し、一方的に武力でねじふせ、チベット人にとって精神的な支えである密教を「悪」となし、寺院を破壊し、僧侶/尼僧たちを殺し、チベット密教の最高位にあったダライ・ラマの亡命を余儀なくしたのでした。
NYのわたしの周りにチベットに病院を持っている人、チベット密教の尼僧などがいたから、随分前からその話しは聞かされていました。
瞑想のことを教えてくれたのも、チベット密教の尼僧でした。
その後、書を読み、少しずつですが勉強してきました。
宇宙と人間の存在の叡智がチベット密教にはあると感じています。
その教えにわたし自身も救われましたし、今でも助けられています。
今、世界は危機に立たされています。
気候の変動もそうですが、いろいろなことが地球的な規模でおかしくなっているのは、すでにみんな気付いていることだと思います。
その中でわたしは、チベット宗教からくる精神性、インドの哲学、そしてアフリカの音楽と踊りの中にある知恵、この3つは危機を乗り越えるためにも、世界の中で守られなくてはならない大切な人類の宝だと感じています。
他にも多くの叡智と宝があったと思いますが(アメリカ原住民たちの知恵やケルト文化など)、今現在残っているもので最大のものはこの3つのような気がするのです。
けれど、その3つも滅亡の危機にあるとわたしは感じています。
アフリカのダンスにしても同じです。
ダライラマは平和的に中国との交渉を続けてきました。
しかし、「発展」と「工業化」と「物理的成功」に浮かれている中国側は(チベットは観光地として富を中国にもたらしている)交渉に応じず、いつまでたっても進展のない様子にチベット人は今度はダライラマにその怒りの矛先を持って行っているようです。
今日の会見で、ダライ.ラマは自分は自国の人間に批判され始めている、と言っていました。
では、武力で闘えば良いというのでしょうか。
しかしそこに答えがないことをダライ・ラマは知っているから、平和的に交渉を続けてきているのです。
武力ではひととひとの間にある垣根は解消できない。
不信感では手はつなぎ合えない。
チベット仏教の基本です。
ダライラマもご高齢です。
もし、彼が亡くなったら、チベットの行く先は、そしてその叡智の行く先は、、、、
思うだけで、涙が出てきます。
今、わたしたち人類は試されていると感じます。
どんな小さなことでもよいから自分にできることをやらなくちゃ・・・。
切にそう感じます。
なぜか涙が止まりません。
近所の子どもたちの笑い声の聞こえる、静かな午後です。
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