元厚生年金事務次官とその関係者が殺傷されたそうです。
連続殺傷事件ですが、「テロ」と呼ばれていて驚きました。
それで、テロの定義、についてネットで調べてみました。
Wikipediaは一応チェックしてみましたが、やはり偏りを感じたので、いろいろ見てみました。
法学部の学生の論文、法律関係者のエッセイ、国連のサイトなどなど。
読めば読むほど「テロ」とはなにか、と定義するのは難しいということがわかりました。
政治権力や体制に暴力をもって抗議すること、というのが大体の見方ですが、もともとフランスでこの言葉が生まれたそうです。
なぜテロを定義するのが難しいかというと、どちら側から見るか、によって正義のありかたが違うということです。
例えば、真珠湾攻撃はアメリカ側からするとテロ行為であり、日本側からすると、そうは思っていないでしょう。
戦争というのは、布告をして始めるのがルールだそうですが、日本はアメリカ側になにも言わずに突然攻撃したので、あれはアメリカ側にすればテロなわけです。
わたしは、アメリカで年寄りたちに散々嫌味を言われましたけど・・(苦笑)
でも、日本のひとがどう思っていたかは、ハッキリわかりませんが、わたしたちはテロリストだ、とは思ってないような気がします。
そこが難しいところだそうです。
なににしろ、暴力で訴えようとするのは精神性の稚拙さと人間の悲劇を現していると思います。
ところで、日本の警察庁の規定では、「極左派などによる、政府や権力にたいする暴力的抗議運動」がテロなのだそうです。
ビックリしました。
最初から、テロリストの「立場」が限定されている国って他では見当たらなかったからです。
だから、長崎市長が殺されても、殺したのが右派で、知事が左派だったからテロとは騒がれなかったのか、と頷きました。
長崎県知事はそのときの「体制側」であり、「権力」であったにも関わらず、政治的思想と立場が左派であったから(戦争反対、核兵器の使用反対)、その暴力がテロと騒がれなかったのか・・と。
「体制」=右派であり「反体制」=左派という決まりごとが最初からあるほど、この国の政治はずっと偏ったものだったのか、と改めて驚いています。
それにしても、今回の事件をまだ犯行者側からなんの声明も発されていないのに、政府関係者が殺傷されたという事実だけですぐに「テロ」とするところに、なんだか危うさを感じています。
テロ対策法をこのまま持ち越したい、という政府のもくろみのような気もするのです。
なんだか妙です。
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