今日はお天気が良いだけでなく、暖かかったので散歩にでかけた。
図書館に本を返却しなくてはならなかったので、ちょうどいいと思ったのだ。
途中で神社に寄り、寺にも寄った。
この神社は、この地域が小松川村と呼ばれていた頃からの鎮守の森の神さまが祀られていたところだったらしい。
そして、寺は、この神社ともうひとつの神社のちょうど中間地点にあって、村を一緒に守っていた、と表に書かれてあった。
なんでも、中国からの伝来の思想で、60日に一度巡ってくる申(さる)となんとか(忘れた)の日に、ひとから悪いものが出てくるので、それを祓うために建てられたそうだ。
なるほど〜とわたしはひとりで納得して頷いた。
大体、人間の体の組織というのは、定期的に入れ替わる。
肌もそうだけれど、数ヶ月もすると,体の組織はきれいに入れ替わっているのだそうだ。
こころも入れ替えをしなくてはならない。
いろいろな外からの情報を取り入れ、影響を受けながらひとは生きている。
体の細胞と同じように、それをきちんと循環させる必要がある。
そうか、60日に一度、自分のなかの邪気や悋気や、いろいろを吐き出して祓っていたのか・・・
昔のひとは「健やかに生きる」方法をよく知っていたのだな〜、と思った。
キリスト教でも懺悔という自分の毒を出すやりかたがあるけれど、人間、いつまでも自分の中になにかを溜め込むと、しまいに自分で自分を攻撃し始め、傷めてしまう。
たまに、それが我慢できなくて、他人を攻撃する人もいる。
大抵、ひとを傷付けようとするひとは、まず、そのひとが己が抱えている痛みに耐えかねていることが多い。
ガンという病気は、自分の細胞が自分を攻撃する病気だけれど、現代社会のこころを体現化した病だとわたしは思っているから、なるべく、こころにゴミを溜め込まないよう、自分も他人も追い詰めないよう努力している。
それにしても、生活の中に、鎮守の森があり、寺があり、こころの循環をしていた時代はどこへ行ってしまったのだろう。
広い境内にはほかに参るひともなく、神社には、子どもが描いたのだろう、地面に棒で描かれた絵があっただけ。
あとは、天に蒼い空、そして葉のすべて落ちた樹が、江戸時代からあるぼろぼろのきつねに陰をおとしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おやじ
一番上の写真が、香取神社。下が寺の写真。
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