と、今朝言いたくなりました。世界中のひとたちに。存在するすべてのものに。唐突に言いたくなったのです。
シャワーを浴びたあと、クリスタルを体に置いて、朝のひかりの中で瞑想をしていた最中です。体中に歓びが溢れてきて、ひとりでニコニコしてしまいました。これと言った理由はありません。相変わらず人生は慌ただしく、今日もやることが満載です。けれど、突然こころがふわ〜っと広がって、時間がとまったようになり、ただ、そう感じたのです。
みんな、愛してるよ〜!
多分思います。「いまを生きよう」とよく聞きますが、ホントにこれは大切です。このところ、猪突猛進スタイルで走ってきましたが、ときどき、周りの風景を見るのを忘れそうになりました。ときどき、息が浅くなっていました。ときどき、理想や未来だけを見つめて足元を見失いそうなときもありました。だから、ときどき散歩しました。ときどき近所のひとと四方山話をしました。そして、お花を買ってきました。
都会にいると、季節は日差しの角度と、風と、ところどころにあるひとの家の庭木ではかるしかありません。そうすると「いま」を見失いそうになるのです。歩いて10分くらいのところに、腰の曲がった小さなおばあさんのやっている小さな花屋があります。決してオシャレなお店ではありませんが、季節の活きの良い花を良心的な値段であつかっています。そこで、ときどきおばあさんと話しをして、花を買います。
今回はチューリップ。自転車で行けばすぐなのですが、歩いて行きました。実は、その日も忙しい日だったのですが、自分の体に魂を呼戻したかったのです。
あれから数日経っていますが、今も部屋に彩りと華やぎを与えてくれ「春が来てるよ」と教えてくれています。昔、家の庭にあったチューリップの球根が芽を出すのを、日差しが柔らかくなった冬の終わりに祖父と毎朝のように一緒に数えたのを思い出します。「あ、今日は7つ」「今日は9つ」ワクワクしながら土から顔を出す小さな芽を探したものでした。庭に出るときはたいてい肩車をしてもらっていましたが、祖父の肩は大きくて暖かくて、そこから見える世界は広いものでした。
あれから随分のときが経ち、祖父はすでにこの世のひとではありません。けれど、毎年チューリップを見るたびに春近い冬の朝と、祖父の温もりと匂いを思い出すのです。「いま」は過去とともにあり、未来へと続く瞬間なのだな、と実感します。だから、ときどき立ち止まって「いま」を感じるのが、愛への道なんだろうな、と思うのです。
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