昨日から生理で、頭がぼんやりしていました。
朦朧としていて、せっかく南直哉さんの講義を聞きに行ったのに、集中するのにものすごい体力を使ってしまいました(笑)。
仏教に詳しくないわたしには、親鸞、道元、浄土宗、禅宗、自力、他力、本願、浄土、、、次々と出てくる言葉にいちいち耳を傾け、直哉さんがいわんとする意味を考えなくてはなりませんでした。
また、日本語でなにかの講義を受けたのは、もう、あまりにも久しぶりで、日本語が難しいことを改めて感じました。
凡夫という言葉も、煩悩の煩なのか、梵なのかわからず、やはり、平凡の凡だろう、とか考えているうちに話しは進み、、、
筆記用具も持って行っていなかったので、メモもとれず、血のめぐらない頭で必死に考え、1時間半の後には、完全に消耗していたのでした(笑)。
しかし、、、よかったです。
わたしは、宗教というもの自体にちょっとした懐疑的な気持があり、それはいまも変わらないのですが、講義を聞くうちなんだかいろいろ分ってきたのです。
詳しいことは、またいずれ書きたいと思います。
ただ、いろいろと思いました。
芸と仏の道とか、人間の存在についての不安定さとか、、、でも、実は一番この講義で気になったのは、直哉さんの「僕は、開き直ったペシミストである」だったのですが(笑)。
なんにしろ男性優位、これが一番宗教からわたしを遠ざけるところなのですが、思いましたよ・・
鳥居(神社で仏教の講義があった。これがまた日本の面白いところで好きなところ。)をくぐる瞬間に、
「生理の女は穢れているから鳥居はくぐってはならない、という男社会の決めたしきたりがあるよな〜。ちなみに一日目のあたしゃどうなるわけ・・」と。
原始、女は太陽であった、といったのは平塚雷鳥さんでしたが、もともと古来から、生理は神聖なものとしてとらえられており、神への誓いの記しは、生命のサイクルの象徴である女性の生理の血を捧げたと言われているのですが、女と生理を穢れたものとし、ひとや動物を殺してその血を献上し始め、「こっからこっちは俺たちだけしか入れないもんね〜」「生理の女はダ・メ〜!」と宗教という団体ときまりを作って乱暴な小学生のようなことをしたのは、もちろん、男性。
宗教ってヤツは、、、って少しため息をつきながら、鳥居をくぐって向った仏教の歴史の講義だったのです。
でも、直哉さんは、1時間半ほどそのへんに唾でも飛ばしているんじゃないか、と思わせるほどの勢いで彼の頭の中にある広大な知識と思いを喋り倒し、、、その話しの内容からも、佇まいからも、ひとりの人間として宗教/生きること/本質と正面から向き合っている姿が感じられました。
わたしはある人間の魂に久しぶりにまっすぐに触れたような気がして、電車の中でじんわり涙が出てきました。
そして、完璧なものなどないように、宗教もまたそうではない。
けれど、そこには、人間の根源的な希いがあり、それは、性別、国籍、人種、時代を越えてとても普遍的なものなのだ、と感じたのです。
家に戻って早めにベッドに入ったら、汗を沢山かいて何度か目を夜中に覚ましました。
流れる血と一緒に全身が奇麗になったようで、朝起きたら体が軽くなっていました。
この数週間、ものすごい勢いで走り続けていましたが、その疲れとたまっていた感情などが流れていったようです。
今朝は早めに起きて部屋を掃除し、玄米小豆粥を作りました。
小豆は、体の掃除をし血を浄めてくれます。
まっすぐな直哉さんの講義。
美しい色の小豆。
体のリズムを整えてくれる生理。
すべて、宝物です。
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