戻ってきました。先日、金曜の夕方です。東京はもっと暖かいかと思っていたら、そうNYと変わらず・・ちょっと残念ですが、サクラは咲いているらしいです。良いお天気なので、後で散歩がてら近くの公園に行ってみようと思います。
これからいろいろと煩雑なことが多くなり、しばらく動き回ることとなるでしょう。それでちょっと憂鬱になり、向こうを発つ前に「あ〜、現実と向い合わなくっちゃいけない〜!」と友だちにこぼしたら「あら、こっちもあなたの現実よ。『もうひとつの現実』と向き合う、でしょう?」と笑われました。確かに・・NYの生活も現実なのです。それにしても、わたしたちはいくつもの現実を生きていて、それを自分のなかでバランスし、調和しながら生きているのでしょう。
結婚しているひと、仕事をしているひと、子供がいるひと。家庭、仕事、子育て、趣味、、すべてが現実だと気付いて、みんなそれぞれに大切にすることが肝要なのでしょう。どこかが現実でどこかが逃避すべき非現実だと勘違いすると、亀裂が生じるのかも知れません。
ただ、違う国、しかも、著しく文化と生活意識/態度の違う間を行き来すると、頭が混乱しがちです。それで、仏教の「すべての瞬間を生きる」修練を自分に課しました。成田に着いたとたんに、ここは日本だ、と自分に言い聞かせ、周りをすべてみて、落ち着くように自分に言い聞かせ、呼吸に意識をもってゆきました。
いろいろなことに気付きました。例えば、やはり、東京近辺のひとは、殻に閉じこもっているひとが多いこと。電車でも、どこでも・・飛行場で荷物を宅急便屋に預けたのですが、会計をしてもらった女性がわたしの顔を一度も見なかったのです。何年も前に日本に戻ってきたとき、これは、衝撃でした。でも、今回は、「わたしはここにいますよ〜!」とこころで叫んで「どうも、お世話になります」といくらなにを言っても顔をあげない女性に挨拶して戻りました。
アメリカでは・・・少なくとも、NYでは、スーパ−のレジのひとでも、誰でも相手の目も見ない、人間的な挨拶もしない、ってことは、あり得ません。日本のひとは、いえ、東京近辺のひとかも知れませんが、マニュアル通りの挨拶以外、人間と人間としての挨拶をするひとは稀です。しかも、多くが目も合せません。
なぜ、日本、特に東京のひとたちはああなのか、という議論にNYでアメリカ人たちとなりましたが、あまりにも深い話しでハッキリとした答えはでませんでした。ただ、ひとつだけわたしが思うのは、きっとそのひとたちは幸せではないんだろう、ということです。自分が人間でありながら、周りの人間と、日常レベルで通じ合うことができないというのは、どう考えても不幸です。
そう思いながら戻ってきましたが、新小岩に着いた途端に雰囲気が変わりました。駅で重いスーツケースをよっこらどっこら階段を持ち上げていたら、若い、あれはどう見ても新宿辺りのホスト、しかも、売れっ子ふうの茶髪長身ハンサム男子が「手伝いましょう」とひょいっと片手で持ち上げてくれニコリと笑い、商店街で入った天ぷらやのおじさんもとても優しくしてくれ、帰りにドアを開けて「まだ、是非来てくださいね!」と言ってくれ、大家さんに遅れに遅れた家賃を払いにいったら、遠くからわたしを見つけたらしく「おかえりなさ〜〜い!」と言ってドアを開けてくれました(笑)。
自分がなぜ、下町のここに住むことにしたか・・・その答えがハッキリと見えた今回でした。ガラが悪いとか、危ないとか、いろいろ評判のよくないこのあたり。でも、商店街を歩いている人たちの表情も、態度も、声も、断然、いわゆる「お上品」と言われている地域より、人間味があり、暖かいものです。
東京は息苦しい街です。そしてそれ故に、多くの外国人に評判の悪い街です。けれど、どこかに、生きたい、幸せになりたい、深く息をしたい、涙を流したい、笑いたい、、、というこころがあるのだろう。ただ、その方法が分らなかったり、まったく間違えた方向に向っていたり、感覚が麻痺していたり、または頑になっていて方向転換ができなくなっているのだろう、と今回思ったのでした。そして、実は戻ってくるのが憂鬱で、アパートに入ったら嫌で仕方なくなるのではないか、という不安があったのですが、部屋に入った瞬間、エネルギ−が思ったより断然純粋で心地よく、わたしはこれまでこの空間で、この近所で誠実に生きてきたんだな、と感じられ、『もうひとつの現実』も確かに大切に生きてきたのだった、と気付き安堵したのでした。
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