いつだったか、随分前に「鏡に向って毎朝『愛してる』って言ってみましょう」というのを書いた事があります。これは、心理療法のひとつで、自分への愛を回復するための方法のひとつとしてどこかで教わりわたしも実践したものでした。「やってみましたが結構難しいです」という意見も多くありました。わたしも最初はすんなりできませんでした。妙にむずがゆかったり「あたしってこんなとこもあるし・・」と自分の嫌いなところや、理想と反するところをあげつらってしまったりしたものです。でも、続けるうちに、だんだん慣れてきて、そのままの自分でいいじゃない、好きだわ、と思えるようになったものです。
そのうち、気付くようになりました。今のわたしたちがどれだけ自分を貶める言葉を使っているか。先日、ある友人とお茶をしていたのですが、彼女はちょっと精神的にこの頃不安定だと言っていましたが、とにかく連続して自分を虐める言葉を使うのです。「わたしは過敏だから」「もう老化してるから」「もう頭がおかしいから」・・・と。聞いている方が辛くなるような言葉の数々でした。
昨日は他の友人と電話で話していたのですが、世の中には清と濁がどちらもあるっていう話しをしていたら、即座に「オレは濁だから」と言い放ちました。ちょっと驚いて返す言葉もありませんでした。そんなに簡単に自分を決めつけちゃっていいのかしら・・。
確かに、自分を蹴落としたり、卑下したり、虐めたりすると、ある意味楽なところもあると思います。自分が嫌なヤツだ、と決めていたら、最初から責任とらなくても良いものです。「どうせオレはこんなやつだから」と言えば、悪いことしても、ひとを傷付けても謝らなくてもすむし・・後悔もしなくてすみます(笑)。それに、クセになっていると、ネガティブな言葉ってなかなか抜けなかったりしますし、自分で意識のないうちにどんどん言っちゃったりします。
それにしても・・・呪文のように自分を蹴落としていると、どんどん下降してゆくものですし、周りも、自分が嫌いな人を好きになることってできないので、孤独な人生になることでしょう。でも、それでもそれで良い、と覚悟して生きるのもひとつの生き方だと思います。宇宙にはブラックホールもあれば、謎の闇の物体/空間もあると言われています。ミステリーです。ひかりだけで成り立っていないのが「存在」のようです。
わたしは個人的に、自分を虐めるのは自分が辛いので止めよう、といつしか思いました。それに、自分を愛せない人間はほかも愛せない、という名格言をいつだったか若いころに聞き、誰かを愛せるひとになりたい、とも思ったので、虐めないように努力してきました。わたしには、ブラックホールや地獄の苦しみから生まれる愛憎の関係性や苦悩の芸術は、どうも肌に合ないというか、苦しいだけなのです。けれど、覚悟を決めて闇で生きる人たちを責める気もちもありません。一緒にはあまり生きたくはないですけど・・(笑)。ただ、無意識に自分を虐めていて、なぜ自分はこんなに不幸で、こんなに不安定で、こんなにいつまでたっても誰も愛せないし愛されないのだろう、と思っているひとがいたとしたら・・・自分を虐める言葉を止めて、情のある優しい言葉を自分に浴びせることから始めるとよいのではないか、と思います。
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