常々思っていることがあります。日本語では、子供を「甘やかす」という表現があります。それは、きちんと躾けをしないときに使う言葉です。アメリカでは、「to spoil the child」と表現します。このspoil は、スポイルと発音しますが「腐敗させる、腐らせる」という意味です。
日本語の言葉は、それこそ、「甘い」のではないか、と思っているのです。例えば、子供がウソをついてそれを正さない親は「甘い」のでは、どうもつめが甘い・・・。だって、きちんとものごとの道理を教えないと、その子の性根が「腐る」というほうが正確だと思うのです。甘い,という言葉には、どこか逃げがあります。甘さには安心感や栄養もあります。不安になったときに、チョコレートや甘いものを食べると人間は安心します。食べ物を糖分と変化させて人間の体は栄養を吸収します。その言葉と、ひとを甘やかすという言葉が同じだと・・・どうしても、曖昧になり、中途半端になると感じるのです。
逆に、昨日書いたブログのように、自分に情のある愛のある言葉をかけることを「甘やかす」と感じるひともいるでしょう。自分に愛をかけることは自分を甘やかすことではなく、大切にすることなのですが、そこに罪悪感や、甘やかすと自分がだめになるのではないか、という不信感も出て来ます。しかし、情のある言葉を自分にかけても、人間は決して腐らないはずです。それどころか、イキイキとするようになるでしょう。
甘党の男を男らしくないとしたり、潔くないとする風潮もあります。お酒も糖分がとっても高いんですけれど・・。優しさへの恐れと劣等感がそこに隠れているのではないでしょうか。
「甘い」という表現自体にウソを感じるのですが、いつからこの表現が使われるようになったのか、不思議に思うわたしです。
コメント