ご病気だとは知っていました。喉頭がんのことも存じていました。再発したことも・・・でも、どこかでいつまでも生きていてもらえるのではないか、と願っていました。ニュースを聞いて涙が出ました。またひとり、この世から清冽な魂が消えて行った・・そう思いました。
喉頭がんと最初にお聞きしたとき、『あ』と思いました。喉に疾病のあらわれるひとは、思いっきり自分の言いたいことが言えていないか、表現できてない人ではないか、と思ったのです。あなたは、昔から、非暴力、平和、そして愛を訴えてきました。けれど、すべて本当のことは言えていなかったのではないか。この鬱屈とし、本当のことを言うひとは押さえつけられてしまう、この国の現状では、ホントのホントのことは言えていなかったのではないか。または、言っていたとしても、現実があまりにも悲惨で悲しいと思っていたのではないか・・そう思ったのです。
多分わたしの直感はそう外れてはいないだろう、と思うのです。わたしの周りには音楽業界のひとびとがいますが、あるミュージシャンは、本当の気持ちを歌にして歌ったら、それが政治的ななにかにひっかかったらしく、毎日のように脅迫電話がかかり、ところかまわず嫌がらせをされたそうです。「その歌は歌うな」ということだったそうです。恐ろしかったそうです。つい最近のことで、このひとは知名度の高いミュージシャンです。この国に、言論の自由はあるのか。音楽家たちが、自分の歌を歌えない国は、思うことを言えな国は「自由の国」だろうか。
あなたが亡くなったという報道番組の中で、10年位前の「徹子の部屋」に出演されていたあなたの映像がありました。その中であなたはこのようなことをおっしゃっていました。「ボクは昔から社会のことに関心があります。そしてこの酷い世の中は、少しは良いほうに変わるかと思ってきました。でも、全然、変わらないんです。戦争だって終わりません。人間ってこんなものなんだ・・と驚いています」と、とても悲しそうでした。わたしも世の中に絶望して、死にたいと本気で考えていたこともあったので、とても気持は分りました。
番組を観た後、愛読書『You can heal your life』で「喉」を調べてみました。予想通り、『本心が言えない。抑圧された怒り。表現の抑制。』とありました。きっと、もっともっと言いたいことあったんだろうな、表現したかったことがあったんだろうな。いっぱいいっぱい感じていたこと、憤り、哀しみ、あったのだろうな、と思いました。愛の深い人ほど、哀しみも憤りも深いものです。
あなたが大好きでした。まだ、アメリカに行く前のころ、学校に行くのが嫌で毎日泣いていたころ、あなたの歌を眠れない夜に子守唄のようにして聞いていました。日本に戻ってきたとき、あなたが少し丸くなっていて、化粧もしていなくて、自転車に乗っていて、あの若くてとがった清志郎さまではなかったけれど、元気で活躍されていることを知りホッとしました。誠実な愛のあるひとがまだいた。そう思いました。・・・・そんなあなたが逝ってしまいました。
殺し合いが続き、不信と欺きの蔓延する世の中。絶望と背中合わせの中で、自分の中の希望の光を見失わないよう、消してしまわないよう、必死です。日々、襲いかかってくる闇と闘っています。あなたを失った今、もうひとつの尊敬していた魂を失った今、ボロボロ涙をこぼしながらこれを書いています。でも、わたしはまだ生きています。だから、あなたの遺していったメッセージを、もっと生きて言いたいことがあっただろうあなたの無念を、喉頭ガンが分った後も声を守るために手術をしなかったあなたの決意を、遺されたものの一人として、きちんと受け止められるよう生きなくてはならない、そう思っています。
生まれてこのかた、ラブレターも書いたことのないわたしです。もちろん、誰にもファンレターも書いたことありません。照れますし、まめな性格でもありません。でも、あなたには書けば良かった。そう思いました。実は、あなたの「復活ライブ」で一緒に演奏していた奏者のひとりは、わたしの昔からの知りあいです。なんで、アイツがわたしの清志郎様と!と思ったのですが、あとで聞いたところ、彼はあなたの熱烈なファンで、オーディションに行って受かったのだとか・・・。彼はあなたの再発をとても重く受けとめていたそうです。せめて、彼を通してでもなにかあなたに伝えれば良かった。そう後悔しました。ですので今、遅過ぎたかも知れませんが、あなたに送ります。
あなたが大好きでした。尊敬していました。天国で思いっきり自由に、歌いたい歌を歌いたいように、言いたいことを言いたいように言っていることを祈ります。そして、あなたの歌が、声が聞こえるよう、これからは天に耳を傾けてみます。
愛を沢山ありがとうございました。涙が止りません。
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