さっきまで、カナダ人でアメリカに25年以上住んでいた人と話しをしていました。カルフォルニアに長く住み、日本に4年住んでいるそうです。大阪から東京に出てきていて、仕事のオファーのあるインドに行くか、東京に引っ越すか考えているそうです。東京には様子を見にきたのだそうです。
まだ数日しか東京にはいないそうですが、楽しいそうです。そして、日本でわたしが感じる孤独は感じないそうです。逆に、彼はNYのひとたちのひとなつっこさと、社交性の高さにひいてしまうそうです。ずっと、カルフォルニアに住んでいて、それに慣れているからだそうです。カルフォルニアというところでは、ひとはいつも建物の中にいるか、車の中にいるので日常の中で「実際の頭から足まで」の他人と接触することは少ないそうです。そう、車の中にいる頭から腰までの人間を、自分の車越しに見るのがせいぜいなのだとか。なので、NYで頭から足まですべてある人間がそこらじゅうにいて、みんなが互いに声をかけあったり、巧みに会話をするのに驚かされたそうです。へ〜、そんな印象を受けるんだ!ってビックリしました。確かに、ロスに行ったとき、車ばかり運転していて「ひと」と会うこともなく、なんて空虚で孤独なところだ、と思ったのを覚えています。
NYのひとたちは冷たいという印象があるようですが、逆で、だれとでも話しをしますし、しかも、深い会話をします。バスでも電車でも、もちろんパーティでも。この男性も言っていましたが、カルフォルニアでは地位やファッションやルックスや家が重視され、会話の内容はそれほどでもないのに、NYのひとたちは、人間そのものを評価してそこで付き合いをするので社交力(?)が高く、会話も上手なのだそうです。だから、音楽や踊りや演劇という、対人間の芸術が発展し、逆に西海岸は、孤独を好む作家が多いのだろう、という話しになりました。
彼にとっては、日本は完全な異国であり、ひとびとはあまり互いに干渉せず、その距離感がちょうどよいのだそうです。NYのように、誰でも声をかけてくると逆に息苦しいのだとか。逆に、わたしは「people person」だから、この日本人の距離感が恐ろしく孤独なのだ、と言うと、だから君は舞台派の人間なのだ、と言われましたが、妙に納得したのでした。
ひとによって感じ方が違うのだな、とつくづく思いました。でも、久しぶりに自分の気持をまっすぐに言うひとに出会い、とても楽でした。お互いに用事で会ったのですが、ビジネスはそっちのけでカルフォルニア、NY、東京、大阪の文化とひとの動きの違いについて話し、ギリギリの時間まで人生観の話しまでしました。
彼もわたしも、ちょっとした人生の岐路に立っており、これから先どうなるか分らない感じです。でも、お互い、すべてを良く見て、自分の直感を信じ、余計なものは捨て、前に進みながら生きよう。そして、お互いにずっと安定のない人生になる(彼も芸術家)けれど、不安になるとしたら、それは、新しくて未知の領域にはいっているからであり、学びのチャンスだ。がんばろうね、という話しになりました。
ちょっと忙しい1日でしたが、良い日でした。
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