サソリ座の影響か、どうも死の匂いについて考えてしまう。ニュースも血なまぐさいものが多い。
今日も沢山の悲しいニュースがあったけれど、ビックリしたのは、30億円の横領。(さっきのニュースでは10億と言っていた。どちらにしても大きい・・)年金か国民保険のお金を茨城県の職員がひとりでギャンブルのために横領したというのだ。しかも、本人が告白するまで誰も気付いていなかったというからもっと驚き。なんと、孤独な国、と思ってしまった。
それから「死刑になりたかったから人を殺した」という事件が続いている。これも、孤独を現すと思う。誰かに殺して欲しい。自分で死ぬ勇気がないから、とりあえず誰かを殺して、死刑になりたい。荒川沖駅で殺傷事件を起こした21才の青年も、岡山駅で人をホームから突き落として殺した18才の少年も、今日捕まった鹿児島でタクシー運転手を殺害した19才の自衛官も、みな同じことを言っている。
この世で一番辛い仕打ちは、無視されることだ、と精神科医も、哲学者もみな言う。殴られる方が、無視されるより虐待の度合いは低いのだそうだ。わかるような気がする。「嫌いだ」と言われる方が、完全に無視されるよりましだ。誰かに殺されたい、お前は悪い奴だから死になさい、と言われたいと思う人間の胸のうちを思うと、その孤独の深さを見てしまい、ぞっとする。彼らはきっと怒りも哀しみも歓びも、ぶつけるところも分かち合うところもなかったのだろう。存在の不安にずっと怯えていたのだろうと思う。
また、今日は、当時18才だった青年が、若いお母さんと赤ちゃんを殺した事件に死刑の判決が出た。これは、未成年者が起こした事件の中では一番厳しいものだということで今日のニュースを騒がせていた。残酷な犯罪が増え続ける中、判決もどんどんエスカレートして死刑判決が多くなっている。
そして思った。死刑を執行する人たちがこの世にいる、ということを。愛に飢え、自分の存在の不確かさに不安と焦りと恐怖を覚えた青年たちが殺人をし、死刑を求めるが、死刑を執行しなくてはならない人たちもいる。その人たちはどんな気持ちでやらなくてはならないのか・・・。
人を殺す、というのは重大な責任である。死刑執行人たちにも家族がいて、日々の営みがある。仕事場で、人を死刑執行部屋に連れて行き、椅子にくくりつけ、電気を流し、死を確認し、その死体を運ぶ。そのあとに、子どもの顔を見て、食事をするってどんな気分だろう。
人が互いに殺し合わなくても良い世の中が来ることを、こころから願う。
コメント