たいていこういう関連の「わけのわからない」夢というのは朝方見るものだけれど、このときもそうだった。夏の朝だった。NYの夏は暑いし、このころは学生で安アパートを2人のアメリカ人の男の子たちとシェアしていたので、エアコンなんてなかったから、窓は開けっ放しで寝ていた。5階だったし、部屋は道路に面していたので侵入者の心配はなかった。それに、こういうとき、男の子のルームメイトというのは心強い。乾いた涼しい空気が部屋に流れていた。ぐっすりと眠り、夢を見ていた。
ある塔の中を歩いていた。夜明け前の暗いときで、これから夜が明けようとするのが感じられた。足元から冷気が上がってきていた。ドレスの衣擦れの音とひたひたと足音だけがした。ドレスの肌触りを今でもハッキリと覚えている。わたしの右側には「彼」がいた。わたしたちは、互いになにも言葉は交わさなかった。そこには静かな決意があって、ふたりとも穏やかだった。黙ったまま、上へ上へと登っていた。後ろから誰かが追いかけてきているのを知っていた。追いつかれたくないと思っていた。けれど、追いつかれない距離だと知っていたから、わたしたちは、それほど急ぐでもなく、ただ確実に一歩一歩登っていた。
と、その時、電話が鳴った。安アパートのベッドサイドの電話だ。わたしは、寝起きはあまりよくない。夢の途中を邪魔されたのも手伝って、少し不機嫌に受話器を取った。
Hello?
答えはない。そのかわり、すすり泣く声が聞こえてきた。
Hello? Who is it?
・・・お願い、止めて・・・
女の子の声だ。しかも日本語。
誰?どうしたの?
・・わたしよ。お願い、お願いだから止めて!
数少ない日本人の友だちのひとりだった。わたしたちは誕生日が同じだった。彼女がいくつか年下だったけれど。
だから、なにを止めるの?なんで泣いてるの?どうしたの?
飛び降りないで!お願いだから塔を登るのを止めて。行かないで!!
わたしは沈黙した。背筋が冷たくなるのを感じた。目がいっぺんに覚めた。
一体なにを言っているの。どの塔をわたしが登っているの?
あなた、だって、男の人と一緒に登っているじゃない。飛び降りようとしてるじゃない。わたし、必死で追いかけてるんだけれど、追いつかないのよ。止まってってお願いしてるのに、あなたは、全然止まってくれない!お願いだから止めて。その人と一緒に死ぬつもりでしょう。止めてちょうだい!
そう言って、号泣し始めた。
わたしは、呆然とした。彼女が落ち着くのを待った。少しして彼女は話し始めた。わたしが男の人と一緒に塔に登り、そこから飛び降りようとしているから、止めようとして追いかけたけれど、追いつかない。目を覚ましたけれど、このままではきっとあなたが飛び降りる、と思って電話した。
こうして聞く限りは支離滅裂だけれど(笑)、よく話しを聞くと、わたしたちは全く同じ夢を見ていた。彼女はわたしを後ろから追いかけていた。立場は違っていたけれど、状況はまったく同じだった。塔も、わたしたちの姿も、状況も・・。ただ、わたしは、自分が死ぬという自覚はなかった。なにか決意をしていて、静かな気持ちだった。そして、情景をはっきりと覚えているだけだった。この夢で一番奇怪だったのは、塔であるくせに、階段がなかったことだ。ぐるぐると上へ向って行くのだが、階段はなく、ゆるやかな傾斜になっていたのだ。そんな塔を見たことがなかったので、妙だと思った。彼女に聞くと、彼女もそんな塔は知らないが、確かに階段はなかった、と言う。
わたしはぼんやりと、受話器を持ったまま、カーテン代わりにシーツをかけていた窓を見つめた。シーツは明るくなってきた空を映しながら、風に揺れていた。
・・・つづく
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