5年前ほど最初に歩き遍路に行ったとき、多くの女性たちに助けられました。
そのうちの一人が、80才を過ぎた京都出身の尼さんでした。
京都で尼をしていたけれど、寺の中の権力闘争に疲れ、その身を仏と説法をすることに一生捧げることを決めて、香川県の小さな庵を守りながら四国を歩いている、という方でした。
もう、50回以上回ったそうです。
尋常なことではありません。
ある宿で食事をしていたら、彼女に話しかけられ、部屋に呼ばれていろいろお話をいただきました。
そして「今から言うことを書き出しなさい。」と言われました。
わたしは、彼女の言うことをそのまま紙に書き写しました。
そのうちのひとつがこれでした。
『真実を語る人になれ 今日も明日も明後日も』
Saeさんにコメントをいただいたように、日本の方々がマニュアル通りだったり、悪気がないままこころにもないことを言っているのは、さすがのわたしも分っています。
こちらが明るい返事やまっすぐな言葉を返せば、多くの人がこころを開くのも分っています。
けれど、だからと言ってそのままでよいとは思えないのです。
ひとりひとりが真実を語る人にならなくてはならない、とわたしは思います。
ひとに頼り、自分は黙っておき、なにか大事があると多勢について、本当の気持ちを語らないままだと、一部の狂信的な人にコントロールされて起きた先の大戦のような罪を繰り返しかねませんし、大人も子どももいじめが絶えないままでしょう。
いじめは一部の人がやっていますが、大多数の人が傍観者にとどまり、黙ったまま止めないからいつまでも不幸に終わりがないのです。
本当のことを言うのは勇気がいります。
特に、子供のころから、嘘やこころにもないことばかり言って来ていると、本当のことを言おうとすると世界がひっくりかえるくらい緊張することでしょう。
その気持ちはよく分ります。
でも、少しずつ学べば良いのです。
まず、本当のことを言うよりは、嘘は言わないことから始めればいいと思います。
こころにもないことは、言わない。
マニュアル通りにしかさせてもらえないような仕事はしない。
または、マニュアルで「ありがとうございました」と言えと言っているから、といやいや言うのではなく、こころから「ありがとうございます」と言うようにするとか・・.良い言葉には自分から歩み寄ってみるのです。
そうするうちに、自分の中の真実が見えてくるようになり、だんだん、本当のことを言う勇気も出て来ると思います。
そして、いつか誰かが明るく語りかけてくれるだろう、と期待するよりは、ひとりひとりが真実を語る責任を持つようになれば、世の中はいっぺんに明るい方向へと向うと思うのです。
その人自身も幸せになると思います。
責任を負うということは、ときには辛いことでもありますが、自分に自信が持てるようになり、負のエネルギ−から開放されることです。
自分のなかに、生命のひかりがあることを知ることになるのですから。
それに、一部の人間が大勢の人間に対して神の役目をする時代は、もはや終わったのです。
尼さんに言われました。
「この言葉を人に広めてください。」
そう言われてから5年という年月がたってしまいましたが、わたし自身もこの言葉を再びこころに刻み、今いちど繰り返し書きたいと思います。
『真実を語る人になれ 今日も明日も明後日も』
彼女は、もう85才に今年はなることと思いますが、まだご健在で四国を歩いていらっしゃることを祈りながら・・。
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