昨夜は、友人たちと食事をして、赤ちゃんのころから知っている娘さんと夜遅くまで話しをした。小さかった彼女は、もう16才で来年は受験である。大学をどこにするか、州の統一テストの結果はどうだったか、学校の演劇クラスでいくつ点数が稼げたか、ボーイフレンドとどんな話しをしたか、10代の女の子の話しそうなことを話す彼女が可愛いかった。
けれど、彼女の若くて純粋な感受性の世界観と意見には考えさせられるところも多かった。 10代の多くが感じるように「自分は誰か」「世の中の仕組みはどうなっているのか」「歴史は観点によって違うのではないか」と、すべてに疑問を持っていた。そして、周りで起こることまっすぐに反応をしていた。例えば、彼女の父親は日本人で母親はアメリカ人だけれど「わたしは日本に行くと『半分』って呼ばれるのよね。確かに日本語も話せないし、日本人としては半人前だけど・・・」とうつむく。日本人がなにげなく使う「ハーフ」という言葉は、日本人の親を片方にもつ彼女/彼らを傷つける、と以前にも当人たちから聞いたことがあったけれど、16才の感じやすい女の子の口から聞くと胸が痛んだ。
それから興味深かったのは、大人になるのが怖い、と言ったことである。なぜ怖いの、と聞くとこう答えた。「だって、今はやらなくちゃならないことが決まっているし、迷うこともないわ。学校に行って、ジムに行って、ママの言うことを聞いて・・でも、大人になったら自分でなんでも決めなくちゃならなくなるし、もの凄い幅の選択肢があってなにをしたらいいのか分らないじゃない!」本当にその通りだ、と思った。今の世の中は選択肢の極端に少ない社会と、選択肢だらけの社会に大きく分けて2つに分かれている。アメリカは断然後者である。
けれど、それに気付く彼女も賢いと思った。そして、日本にいたら多くの子どもがそうは思わないだろう、とも同時に思った。まず、人生の選択肢がそれほどある、とは思っていないのではないだろう。そして、大人になるということは、自分でなにかを選択をし、それに責任を負う、ということを子どものころから教えられていないのではないだろうか。そう思った。日本社会が選択肢のある社会になってそう古くはないからかも知れない。
同じ年頃の男の子とつい最近日本で話したけれど、大学で遊んだらそのあとの人生は決まりきっているので、自由なのは大学時代だけだ、だから、思い切り遊ぶのだ、と言っていた。日本の多くの若者がそのように感じているのではないだろうか。
大人になったら自由はない。
そして、自由とは、親にお金を出してもらい、単位をとるだけの学生生活をし、コンパをし、友だちと遊ぶことだと思っているのではないだろうか。人にお金を払ってもらい、決められたカリキュラムをこなし、決められた単位をとり、決められたテストを受けて、学位をとることは、自由からはほど遠い行為である。自由とは、自分で考え、自分で選び、そして自分の人生に責任をとることであり、自立していることが大前提である。また、自由の素晴らしさは、苦労を受け入れたものにしか実感できないものである。第一、大学は勉学をするところである。かなりの勘違いをしていることになる。
現代の日本では、大人になったらなにをしてもいいはずだ。路上で物乞いをする人になろうと、世界を放浪する人になろうと、一生をひとつの会社でこつこつ働く人になろうと、家庭を大切にする人になろうと、結婚をせずに好きなことをする人になろうと・・その人の幸福は、その人が決めることである。そして、幸福の数は生きている人の数だけある。けれど、なぜか、人生の選択肢はそれほど多くなく「良い人生」と「悪い人生」がハッキリ決まっているかのように感じているのではないだろうか。勝ち組、負け組なんて言い方があるくらい、本当はフクザツな人間社会とこころの模様を簡単に白黒つけようとしているのではないだろうか。そして、そこからひずみが生じているように感じる。
アメリカのティーンエイジャーがみな彼女のようかというと、そうでもないだろう。彼女は国籍の違う、自由に生きる両親のもとに育てられ、NYという多くの人種や文化の混在する環境で育ち、経済的にも恵まれているからこそ、大人のもつ選択権と自由のもつ素晴らしさと怖さを知っているのかも知れない。けれど、全般に、アメリカの子どもたちの方が、自由の本当の意味を知っているように観察する。大人になっちゃったら選択肢はこんなにあるのよ!と両手を広げて目を丸くして怖がっている彼女は、現実を把握している証拠である。日本の子どもたちも、もう少し広い視野を持てるような環境で、現実を教わりながら育てられれば、大人になって社会にほおり出されたとき、余計な苦労せずにすむのにな〜、と思ったのであった。
彼女は、昨夜遅くまで、そして今朝起きてからず〜っと一時間目のクラスをさぼってまで、わたしのベッドに上がり込んで思うことを喋り続け、やっと先ほど学校に行った。そのあたりは、どこのティーンエイジャーも同じだな〜、と少し寝不足でぼんやりする頭で、日本の甥や姪のことを思い出して笑ったわたしである。
コメント