ときどき、底のない深い孤独に襲われることがある。ブログにもいつか書いたと思う。お風呂のなかで逆さまになって、グルグルするほど孤独になることがある。それは・・アメリカと日本の二つの文化に引き裂かれて孤独になる、なんて単純なものでは実はない。わたしの記憶は数千年をたどるだけではなく、時間と場所を越えたものもある。しかし、それを共有できる人がほかになかなかいないのは寂しいことである。
「彼」にも元夫にも記憶がない。しかし興味深いのは、記憶がないのに、人はそのような態度にでることだ。元夫は、わたしが掃除をするのを嫌がった。うちには掃除機がなかったから、わたしは、帚で掃いて、雑巾で床を拭くというテクニックを覚え、床を磨いていた。すると、ある日帰宅した元夫がいきなり怒り始めた。
なぜ、そんなことをしなくちゃならないんだ。君がそんなことをする姿は見たくない!
わたしは唖然として彼を見つめた。この人、記憶がないくせに、どこかに意識があるんだ。笑えた。彼にとって、わたしはまだ「妃」なのだ。王妃が床にはいつくばって、雑巾を使っている姿なんて、ありえないのだ。
わたしは、聞いた。
じゃ、誰が掃除するの?召使いはいないんだけど・・・
元夫は、黙った。返す言葉がなかったのだ。当然だ(笑)。元夫も、なぜそんな気持ちになるのか、自分でも分らないのだろう。分るのは、わたしだけなのだ。もちろん、元夫も掃除は全くできない。王様然としているところが随所にあるのだけれど、本人はまったく無意識である。
あなたは王様だったから仕方ないわね〜、とわたしが言っても、前世なんて信じないし、記憶のない彼は「プッ」なんて言って笑うだけである。
「彼」には、わたしの記憶を説明したことがある。じっと、黙って聞いていた。そして静かに言った。
君の話しは信じるけれど、僕には記憶がない、
と。
君への愛は確かに感じる。百万回でも愛してる、と言える。そして、僕には君になにか力があることは感じる。けれど、僕には記憶はない。
どれだけわたしが寂しかったか、分るだろうか。わたしにはハッキリ見えるのに。今でも、思い出すと涙が出るくらいなのに・・・。「彼」が言ったのに・・「また、必ず会おう」
確かに会ったけれど、忘れちゃったんだ・・・。
わたしは、何度も自分の体質と記憶を恨んだ。なぜ、他の人は忘れているのに、わたしは思い出すのか。なぜ、勝手にいろいろ見えたりするのか。見よう、なんて思ってもいないのに。そうでなくても孤独なのに、もっともっと孤独になるじゃないか!それに、大混乱だ。自分がどこにいるのか分らなくなるし、知らない人なら考えなくてもよいことまで考えなくてはならず、いい迷惑だ。・・・かなり長い間そう思っていた。
けれど、どうしようもないことにいつしか気付いた。覚えているものを無理に忘れられないし、感じるものはどうしたって感じるし、人にはもって生まれた運命、そして「分」というものがある。わたしが意識的に欲した記憶ではないけれど、そこにはなんらかの意味があり、もしかしてどこかで望んでこうなったのかも知れない。受け入れるしかない。だんだん、そう思うようになった。
・・・つづく
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