このごろ、石原知事に感心している私である。ずっと彼の言動にはクビをかしげてきたけれど、国際関係に関するコメントにだけは、納得できるのだ。
まず、聖火リレーにおいて、チベットでの問題が浮上し、デモンストレーションなどが行われたことに関して、彼はこう言い放った。
「チベットにあった問題がみんなに分るようになって、良かったんじゃない。」
実は、わたしもそう思っていた。そりゃ、平和にリレーが行われるのが一番である。しかし、世界は平和なんかじゃないのだ。そして、中国の経済的発展の陰で苦しんでいる人たちが大勢いるのに、オリンピックのときだけなにごともなかったように平和にリレーをしようとするのは、無理があるだろう。チベットがどこにあるか、ダライ・ラマが誰か、チベット文化とはなにか、密教とはなにか、中国の侵略はどうやって起こったか・・同じアジア文化圏に住みながら、無関心できたわたしたちに、今回のことは現状を指し示しているのだと感じる。ただ、これに便乗して、暴力的な行為を行う日本の若い人たちには、他にもっとフラストレーションを解決する方法を見つけて欲しい・・とは思ったけれど。
石原知事の発言はこれだけではない。
今回、中国での大地震で、日本政府は自衛隊を派遣しようとした。中国も容認している、と発表していた。よく、そんなことがまかり通ったな、と思った。わたしは、台湾に住んでいたことがあるし、香港にも少しいた。大陸の中国人たちとアメリカで交流もあった。だから、中国人の日本への複雑な気持ちは少しは分っているつもりだったからだ。
ところが、実は、中国政府はまだ自衛隊の派遣を正式に受け入れてはいなかったし、要請さえもしていなかた。日本側の一方的な考えだったことが明らかになった。そして、中国の国民の感情は、日本の軍隊を受け入れるほどにはなっていなかったことが浮上した。結局、中国政府からの拒否により、自衛隊の派遣はとりやめになったそうである。
このことに関する町村官房長官の発言を、先ほどテレビで見た。
自衛隊による派遣は「・・なんか、摩擦を起こしてまでやることじゃない。」と言ってのけた。この人の、能天気とまで言える、政治への誠意を感じられない発言にはいつも驚かされていたが「中国政府も要請している」と数日前まで堂々と事実とは違うことを言っていたことへの謝罪はなく、この発言である。わたしは、ポカンとしてしまった。
『なんか』なんて言い草も、政治家としてはお粗末であるし、『摩擦』がなぜ起こるか、への配慮のない発言は、大人げなく、政治家としてはあまりにも未熟だろう、とわたしは大笑いしてしまった。最近、あまりにもひどいことが起こり過ぎて、わたしは、笑うしかない感じになっている。
ところが、そのあとに都知事の発言が放映された。
「中国の人たちの気持ちを考えれば、そりゃ仕方ない。支援には他の方法がいくらでもあるだろう。」というようなことを言った。
正直、驚いた。この人、まともだったんだ・・・。確かに、彼の政治のやり方には暴力的とまでいえる姿勢を感じ、わたしはどうしても好意が持てなかった。今でも、そう持っているわけではない。しかし、最近、彼の政治への認識度は、特に国際情勢に関する知識度は、他の日本の政治家たちよりも高いかも知れないと感じている。彼の価値観は別にしても、だ。
日本は中国を侵略した歴史がある。中国がこの数十年でチベットに行っていることと同じことをしたのだ。勝手にその国に入り、ここは俺たちのもんだから、と武力で決めつけ、日本の価値観、文化を強要し、富を搾取し、逆らうものを殺した。端的に言えばそうである。侵略とはそういったものである。いくら教科書を書き換えようと、なかったことのように振る舞おうと、その事実は変えられない。
要するに、世界の中で生き残ろうと、西洋の列強に肩を並べようとして行ったことであり、アジア各国を痛い目にあわせ、インドの知識人をして「日本は、魂をアジアからヨーロッパに売った」と嘆かせたのである。
このことを、政治家は知っているはずである。自国の歴史を知らない政治家がいては困る。現代社会において、世界情勢を知らない政治家がいても困る。今はもう、江戸時代じゃないのだ。わたしがこうやって利用している、コンピュータ−でさえ、日本製ではない。特に、官房長官というのは、日本政府のスポークスマンであり、顔である。このひとに「なんか・・」なんて、公の場で子どものような口をきいてもらっては、日本国民は困るのである。少なくとも、わたしは、恥ずかしい。
暴力をふりつづけた夫と別れ、一生懸命生きていた元妻がつまずいた。生活に行き詰まっていても、困っていても、まだナイフをポケットに隠し持っている夫が差し伸べる手をとる気になれないのは、人間として理解できるだろう。そのくらい、政治家なら、分って欲しいとわたしは思う。少なくともそれを理解する石原知事は、さすがに、作家であっただけあって、国際関係や政治というのは、人のこころ抜きには図れないものである、ということを知っているのかも知れない。そう思わされた、関連の発言であった。
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