連日夏日が続いているけれど、我が家ではまだエアコンは登場していない。
去年は、足を故障していて体力も落ちていたので、珍しく使っていたけれど、今年もエアコンなしで体がどこまでついてゆくのか・・自分なりに試してみようと思っている。
結構疲れる・・(笑)。
じっとしていても、じんわり汗が出て来る。
首の後ろが熱くなって汗が溜まる。
もう、ジーンズは夏が終わるまで履けないだろう。
いま、ぴっちりしたジーンズが流行っていて履いているひとをみかけるけれど、よくなんともないな〜、と感心を超えて驚いている。
エアコンの中にいることが多いのだろうか・・
わたしは股関節が自由にならないと腰がつっぱるような感じがするので、もともと下半身を締め付けるものは気が向いたとき以外は履かないけれど、この暑さの中であんなものを履いていたら・・脚の付け根が痒くなりそうだ。
先日、ゆるゆるの麻のパンツを履いて、東京平和映画祭に行って来た。
2日間で3本の映画を見た。
『Iraq for sale』
『慈悲を生きる〜ダライ・ラマ14世とチベット』
『ジョン・レノンVSアメリカ』
3本とも素晴らしい映画だったけれど、疲れた
一本一本が考えさせられるもので、見るたびに深いところに沈んでいったのだ。
『Iraq for sale』を見た夜は、東京は梅雨が明ける前日で、ものすごく湿度が高かった。
山羊座の満月だった。
肌にまとわりつく空気の中を泳ぐようにして、朧げな月を片目に家に戻りながら、自分は一体どこに属しているのだろうか、と考えた。
わたしは、日本人の両親のもとに生まれ、日本で幼少期を過ごし、海外にいる間もずっと自分は日本人だと思って来た。
けれど、人生の半分をアメリカで過ごし、気付かないうちにアメリカ人の気持ちがわかる人間になっている。
アメリカの国歌を聞いただけで涙ぐむこともある。
わたしは、どちらにも属しながらどちらにも属さない。
電車の中で涙がぼろぼろ出て来た。
前にいた女の子が、もじもじしていた。
映画を見ている最中も出た。
『Iraq for sale』は、イラク戦争の矛盾に気付き始めたアメリカ人の苦悩を現した映画だった。
彼らの胸のうちがひしひしと感じられ、後半は涙がずっと止まらなかった。
戦争中に反戦映画を作ったひとびとの勇気にも胸を打たれた。
でも、泣いているのはわたしだけだった。
沢山のひとのなかにいて、小さな島にひとりで立っているような気持ちだった。
そして、日本人のゲストスピーカーは映画が終わると言った。
「アメリカ人も苦しんでいるなんて言っているけれど、結局一番苦しんでいるのはイラク人なんです。」
正直で素晴らしい映画だったのに、それを全面否定するようなことを、まず言った。
日本にいると、日本のひとたちのアメリカへの複雑な感情に戸惑う。
行ったことも、住んだこともないのに、全面的に憧れるか、否定するか・・・でなければ、無関心を装うひとが大勢いる。
日本にとってアメリカは特別な存在なのだな、と思わされる。
アメリカの政府高官が通り過ぎただけで、日本ではトップニュースになる。
けれど、日本の首相がアメリカに行っても、アメリカではニュースどころか、話題にさえならない。
日本の多くのひとが、アメリカがどこにあるか知っていて、大統領の名前も知っていて、好きだとか嫌いだとか思っている。
一方、アメリカのひとたちは、ソニーが日本の会社だということも知らなければ、もちろん首相の名前なんて、99パーセントの率で誰も知らない。
日本が好きか嫌いかなんて思うより以前に、存在自体があまりぴんときていないだろう。
アジアの黄色人種の住む国、もしかして、中国大陸の中にある?くらいがだいたいの認識だ。
この妙な関係。
わたしはこの2つの国の間に立って、ときどき、魂がさまようことがある。
どちらにも人間が住んでいて、どちらにも、ひととしての気持ちがある。
けれど、その距離はとても遠いと感じることが多い。
山羊座の満月は、自分がどこに属するか、を考えさせられるときでもあるので、ますます、宙ぶらりんの自分を見てしまったのかも知れない。
家に戻って、NYの愛するひとに電話をした。
「そっちは何時?こっちは朝だよ」
のひと言でざわついていた気持ちがすっと落ちた。
彼は、山羊座の月をもって生まれたひとだ。
なんにしろ、この3本の映画を見たら、政治と、人間のこころの闇をまざまざと見せつけられ、今、人間の置かれている危機的な状況をますます感じることとなった。
チベットで120万人もの僧侶と尼僧が中国人によって殺されている。
平和を訴えたジョン・レノンは、やはり暗殺されたのだ、というメッセージだった。
アメリカはイラクを攻め、アメリカ人もイラク人も傷付き、苦しんでいる。
その後ろ盾を日本人はしている。
世界でほんの一部のひとびとが富を享受しており、多くが餓えと貧困に苦しんでいる。
ひととひとの間には壁があり、愛が消えかかっている。
希望のひかりはどこにあるのか・・・?
ずっと忙しくて家で落ち着く暇がなかったので、意識的に休みをとり、家周りを少し整理した。
特に、庭が散乱していたので片付けた。
我が家は窓が広いので、小さな庭が汚いとまるで部屋の中まで汚く感じる。
今、奇麗になった庭を薄いカーテン越しに見ている。
危険を感じさせるほど強い日差しの下に、緑が揺れている。
その風を受けて、カーテンが揺れ、気持ちばかりの涼しさを運んでくれている。
ソファの上でそれを見ながら深呼吸をする。
幸福とは・・今ここにあるすべてを受け入れ、感謝すること。
仏教家の言葉が蘇って来る。
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