ゴミを出しに外に出たら、ドアに袋がかかっていた。
なにかのセールスかな、と思ってみたら、メモがついていた。
可愛い字で「おいしい牛乳ありがとうごさいました。主人の実家から届いたじゃがいもです。」と書いてあった。
じゃがいもが、ごろごろっと入っていた。
先日、ポッチで喧嘩した坊やのお母さんに、生活クラブの牛乳をあげたのだ。
そのお返しだ。
一人暮らしだと、牛乳が余ることがある。
今、日本の酪農農家は経営危機で大変なのでなるべく飲んでください、と頼まれ、つい、購入してしまう。
実家の近くにも酪農家があるので、実情は分るのだ。
けれど、飲みきれないときもある。
それで、よく冷蔵庫が牛乳瓶でいっぱいになるのだ。
酪農家には貢献しているけれど、冷蔵庫には貢献してないな〜と苦笑いになる。
で、ちょうど、牛乳を買いに行く、という彼女に先日出会い「家にあるから、待ってて!」と言って、あげたのだ。
育ち盛りの子どもがいたら、牛乳はすぐになくなるだろう。
前からあげたいと思っていたけれど、部屋がどこか分らなかったのだ。
だから、あげることができて、嬉しかった。
じゃがいもも嬉しかったけれど、可愛い文字と、そこに記された名前で、初めて彼女の名前を知ることができたのがなにより嬉しかった。
都会のマンション暮らしだと、なかなか近所のひとたちと、人間的な交流ができないからだ。
さきほど、世界ウルルン滞在記を見ていたら、演出家の宮本亜門さんのアフリカのケニアでの滞在の模様が放映されていた。
アフリカでは、気候の変動で干ばつが酷く、飢饉が広がっているそうだけれど、宮本さんが訪れた村も例外ではなく、一日に一食しか食べられない状態だった。
宮本さんは、現状を調べ、村人と生活を共にし、なにか良い案はないかと考え、手のついていない水の便の良い、肥えた土地を村人みんなで共同で耕し、みんなで作物を分かち合う、ということを思いついた。
最初は、少し疑いの目もあった村人たちだったが、最後にはみんなで協力しあい、やがてすぐに新しく大きな畑が誕生した。
その土地は、ずっと前からそこにあったのだけれど、土地の所有者は老齢化していて、耕すことは難しかった。
だから、そのままになっていたのだ。
みんなで分かち合う、ということを誰も考えつかなかったのだ。
ところが、色の白い、言葉も分らない、おねえっぽい男がある日突然現れて、村の集会を開き「みんなで耕して、みんなで乗り越えたらどう?」と言ったのだ。
異国人は、全く違う視点から、新しい風をもたらしたのだ。
東京のJRお茶の水駅には、エスカレーターもエレベーターもない。
しかし、お茶の水には大きな病院が沢山あって、患者たちが毎日大勢この駅を利用して通っている。
わたしもそのひとりだった。
混み合う階段を怪我したからだで登るのは大変だった。
他にも多くの患者たちが、ひとがいなくなるのを待っていたり、恐る恐る登って行くのを毎回のように目撃した。
病院の待ち合い室で、年寄りたちが、駅が怖い、というのを幾度も聞いた。
何年か後には、エスカレーターかエレベーターがつくらしい。
でも、わたしは思った。
機械を導入するのもいい。
お金を使うのもいい。
けれど、それより先に、ひとがひとを助けるようになる方がいいんじゃないだろうか・・・。
アフリカの村人の話し合いでは、川の水を機械を使ってひこうとか、セメントでプールのようなものを作ってそこに水を溜めようとか、さまざまな意見があったが「そんなお金どこにあるの?現実を考えてよ」という女性のひとことですべてが却下された。
それで、宮本さんの「みんなで耕そう!」の答えに辿り着いたのだ。
日本には、不景気だと言いながらも、それでも、アフリカよりもお金はある。
だから、お茶の水にエレベーターがなかったら、数千万円のお金をかけて作るのだろう。(もっとかな?)
でも、みんながもう少し、ゆっくり息をして、みんながもう少し、本当の幸せについて考えてみて、みんながもう少し、お互いの顔を見て、お互いのことを思いやって生きるようになったら・・・
アフリカの畑のように、なるんじゃないだろうか。
脚の悪い人がいたら、みんなで道をあけてあげたら。
手をかしてあげたら。
一緒に歌を歌いながら登ってあげたら。
上に辿り着いたら、手を叩いて一緒に踊ってみたら・・。
エレベーターを作るより、よほどいいんじゃないかな〜、と思っている。
お金があると、人間と人間のあいだの壁ってどんどん厚くなるのかも知れないな・・と思っている。
宮本さんみたいに、新しい風を吹かせてくれる異国人がある日突然現れて、国会でそう言ってくれるのを待つしかないのだろうか。
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