7歳の男の子の言葉です。
なんだかこころがふる~っとくる言葉でした。
昨日のディナーの後のことです。
泊めてもらっている家の友人が、子供にディナーのあとのテーブルで、クラブ活動に参加するにあたっての誓約書を読み上げていました。
ここはアメリカ。
誓約社会。
7歳の子供がクラブ活動をするのに(確か、サッカー)本人が誓約書にサインにしなくてはならないのです。
大人になるための訓練の一環なのでしょうが、、、いやはや。
以下が簡単にまとめた誓約書の言葉の一部です。
あなたは、きちんと自分で考え、意見をいうことができますか。
あなたは、自分の意見をはっきりと大きい声で言うことができますか。
同時に、あなたはほかのチームメイトの意見を、邪魔せずに騒がずきちんと聞くことができますか。
あなたは、分からないことがあったらはっきりと質問することができますか。
などなど続いて、最後に、
あなたは、自分を信じ、行動をとることができますか。
ずっとうなずきながら聞いていた7歳の彼が、この最後の一文で、いきなり首を振り「ボクはサインできない。だって、ボク、自分のことなんて信じられないもの」と言って、それまで母親のそばにくっついて聞いていたのに、離れてリビングに行ってしまいました。
わたしは爆笑してしまいました。
そうだよ、だって、自分のことをそんなに簡単に信じることができたら誰も苦労はしない。
それに、たったこの世に7年しか生きていないのに、自分のことを信じられたら、、、そっちのほうがうそでしょう。
この子は感受性の強い、賢い子なのだな、と思いました。
きちんと言葉を受け止めて、自分に照らし合わせてそう思ったのでしょう。
7歳で、「自分なんて信じられない」と言った彼の頭を、わたしは笑いなでなでしてしまいました。
「あんたは、いい子だ。」
ぽつねんとリビングの床に座り込んでいた彼は、わけの分からない顔をしていました。
「とにかくやってみたら。嫌だったらやめたらいい。自分を信じる心なんて、だんだんできてくるものだよ。」
彼は、うなずき「ママ、サインする。でも、やだったらやめるからね。」と、念を押しながらキッチンに戻ったのでした。
その背中を見送りながら、
そう、大人だって、自分のことを信じられる人なんてなかなかいない。
みんなが信じられたら、世の中はこんなにぐちゃぐちゃじゃないだろう。
だいたい、自分が誰かを知るために、一生かけて生き、最後までわからなかったりするのが人間だもの。
それに、少々自分のことは疑うくらいでちょうどいいよ、、、。
と、こころの中で語りかけたのでした。
彼の人生は始まったばかり。
将来きっと、これを言ってあげなくてはならない時が来ることでしょう。
でも、人間は、幼いころから老いるまで、結局同じようなことで頭を悩ませるものかもしれないな、と思ったのでした。
そして、あんなに小さな背中に、もうどれだけのことを抱え、悩み、そして感じているのだろう、と思いました。
彼は見るたびに成長していますが、その豊かな感受性と素直さにこころを打たれます。
そして、これからも健やかな成長と幸福を願うのです。
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