わたしが育った家は、庭が広くて、敷地の東側には大きな菜園もありました。
菜園の手前は、一段高い広い円形になっていて、その真ん中に大きな夏みかんの樹がありました。
円形の中は柔らかい草が生えていて、春になると沢山のオオイヌフグリが咲き乱れ、その上をゴロゴロして空を見上げました。
思い出しただけでもこころがふわ〜っと気持ち良くなるような瞬間でした。
菜園を囲むようにしていろいろな果樹が植えられていました。
枇杷、梅、モモ、栗、ザクロ、サクランボ、イチジク、そして柿。
ひとつの果樹でもいろいろな種類のものがありました。
栗も、ヨーロッパ種のもの(小振りで甘い)、日本のもの(中くらいで実がしまっている)、品種改良されたもの(大粒で味はイマイチだった)、などなど。
明治時代に植えられたものが多く、みんな大きな木でした。
柿も沢山ありました。
渋柿、ふゆ柿、しもごねり・・・
しもごねりの木はとても大きく、背丈が十数メートルあり、実をたわわにつけました。
職人がなんにんか来て(そう、柿をとる職人がいたのですね・・)するすると登って、とってくれました。
柿の木は、見た目に枯れている枝と生きている枝の見分けがつきにくいから、素人が登ってはいけない。
プロにやってもらうものだ、といっていました。
わたしの背丈の半分はあった大きな籠が、いくつもいっぱいになりました。
この柿は甘く、そして珍しいものでしたので、近所に配ってまわりました。
秋になると、落ち葉を燃やす匂いと、職人たちが高い木に登って柿を上手にとる姿が思い出されます。
昔を懐かしんで今、生活クラブで柿を頼んで食べていますが・・・・マズい。
話しにならないくらいマズいです。
なんでだろう・・・と思いました。
多分「同じもの」を均一に作ろうとするからだろう、と思いました。
四国を歩いていたとき、柿畑を生まれて初めて見ました。
わたしにとっては、柿の木は「そのへん」に適当に生えているものだったのですが、ずら〜〜っと同じような背の木が整然と並んでいて、同じような形の、同じような大きさの、同じような色の実をつけていて、とても奇妙に感じました。
木の実なんて、大きいのもあれば、小さいのもあるし、虫が喰っているものもあれば、早熟なのもある・・。
ひとつの木でもいろいろです。
それに、みんな同じ種類なんて・・・妙です。
「市場」に出すために機械的に作られているのです。
だから、味気ない。
「味も酸っぱもない」という言い方がありますが、可もなく不可もなく、って味なのです。
結局、人間もこんな感じなのではないでしょうか。
失敗しないように、ひとと同じように、目立たないように、かといって遅れをとらないように・・。
ビニール袋に行儀よく入って配達されてくる柿のように、人間もなってしまっているのではないでしょうか。
会社や社会というビニール袋に入ってしまい、首になっても次に同じような規格品人間をまた入れられるから、外れたことするとシカトされたり虐められたりするから、とりあえず、規格から外れない人間になろうとみんな必死で本当の思いや気持を殺す・・・・
でも、人間は有機物ですし、個体個体で体質も性質も大きさもすべて違いますから、ストレスが生じて、自殺率や鬱やいじめの率がぐんぐん上がっているのではないか、と思ったのです。
だって、みんな一生懸命生まれてきて、死ぬまで毎日生きなくっちゃならないのに、誰が好き好んで「味も酸っぱもない」「可もなく不可もない」人生を送りたいことでしょう。
少々見てくれが悪くったって味のあるひとでいるほうが、おおよそ失敗も多いけれど空を見て「あ〜美しい!」と感動できるこころを持って生きるほうが、かなわなくてもいいからこころから愛せるひとと出会うほうが、どれだけ良いことでしょう。
それに規格品ばかり食べて、既製品ばかり身につけていると、だんだん判断力も鈍ると感じます。
わたしは、柿からも多くを学びました。
大げさだとお思いですか。
結構真剣なのです。
そう、しもごねりも美味しかったですが、ふゆ柿も実が柔らかく美味しかったものです。
ふゆ柿はサラダにすると特に美味しい。
しもごねりは柔らかくなるとマズいけれど、「じゅくし」は、固い時はシブいけれど柔らかくなるまで熟すと極上に美味しい。
二つに切って、スプーンですくって食べると・・・とろ〜り口の中に溢れて、ああ美味!
なるほど、いろいろな良さと味があるのだな、と学びました。
そして、子どもながらに、大きさや色つやから、どれが美味しくてどれがシブいか、外からでも分るようになりました。
味を見極める力が自然についたものです。
そして、ものごとは、パッと見ただけでは決められないことも学びました。
渋柿を知らずに食べたとき・・・口中がシブくてうえ〜〜っと声をあげて吐き出しました。
渋柿って見た目はつややかでとても甘そうなんです。
見た目で判断できないものもあることを学んだ瞬間でした。
でも、渋柿って先が少し尖っているのです。
なるほど・・と思いました。
柿にはいろいろ教えられたのです(笑)。
渋柿のシブさも知らず、枯れ葉が燃える匂いのなかでみんなでわいわい食べる柿の味も知らず、行儀のよい規格品柿をビニール袋の中でしか知らないと、どうも妙なことになりそうです。
可もなく不可もない色と形のそろった奇妙な柿を食べながら、この頃の子どもが果物を食べたがらないのも仕方ないかも知れないな〜、と思ったのでした。
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