母に、餅を送ってくれと昨日電話で頼んだら、今日もう着きました。
行動の早い人です。
中には、卵焼きやイモやタオルまでなんだかいろいろなものがごったになって入っていました。
クリスマスプレゼントのつもりなんだろうな、と暖かい気持になりました。
わたしは、日本ではクリスマスは祝わないと前にも言いましたが、こういう気持は嬉しいものです。
そして、子供のころはサンタのプレゼントが朝起きたら毎年ありました。
実は、父がキリスト教を信仰してたのです。
学校がキリスト教系の学校だったので、そこで染まった(?)らしいです。
クリスマスは、ヨーロッパが源です。
ドイツに住んでいるときにクリスマスを過ごしましたが、それまでいたアメリカとは過ごし方が違うのに感動しました。
アメリカでは、感謝祭が終わった途端にあちこちに電気ピカピカのクリスマスツリーが乱立し、町は買い物客でいっぱいになります。
スリや強盗が増えるのもこの季節。
買い物のときは、しっかり脇を締めて歩きます。
クリスマスまで、国中が騒々しくなります。
クリスマスが来てしまえば、ヨーロッパもアメリカもそう変わりません。
イブにミサにゆき、家族で食事をしてエッグノッグを飲んだりして話しをしたら、翌朝ツリーの下でプレゼントを開けます。
(ヨーロッパはイブだったかな?)
そのあとは、日本のお正月のように、若者は出掛け、年寄りは家でゆったり過ごします。
日本は、お正月はカルタをしたり、羽子板ついたり、タコあげたり・・・って言うのが伝統的ですよね。
わたしも、やらされ(?)ました。
朝、近くの神社にお参りして願いごとをして、着物を着て三つ指ついて家族に「おめでとうございます」をやったら、お屠蘇を飲んで、書き初めして、初夢を日記に書き、タコあげて、羽子板ついて、年賀のご挨拶まわりをし・・考えたら忙しかったな〜。
欧米ではお正月はあまり祝われず、クリスマスが日本のお正月みたいな感じですが、日本みたいにそんなに忙しくはありません。
どちらもそう変わらないのですが、ヨーロッパのほうは、クリスマスプレゼントに対する態度がアメリカと違っていて、わたしは感動したのです。
手作りのプレゼントをするひとが多かったからです。
もちろん、買う人も大勢います。
けれど、伝統的には手作りなのだそうです。
日本でも有名な、ストッキング、いえ、大きな靴下、あれは寒い北ヨーロッパのひとたちが、毎年、家族に編んでいたのがあのようになったのだそうです。
ルームメイトのベティナがソファの上で靴下を器用に編んでいるのを見て、わたしは感動してしまいました。
しかも、そのころのわたしはおばさんが全く育っていなかった時代だったので、靴下が自分で編めるなんて!とビックリしたのです。
「当然よ」と鼻で笑われましたけど・・(笑)。
こころを込めて、ひとめひとめ編み、愛する家族やお相手が暖かく冬を越せますように・・と差し出す。
素敵だな〜と思いました。
現代日本では、お年玉に象徴されるように、お金がプレゼントですが、お金では買えない、愛情を込めた贈り物をするという風習が再び戻ってくるといいな、と思います。
あと、大学生だったときのアメリカでの経験でビックリしていたことがあります。
大学のときのボーイフレンドはフィラデルフィアの出身で、実家に戻ることになりました。
わたしも一緒に行きました。
ま、よくある、息子が大学に行ってガールフレンドを連れて帰ってくる、ってパターンです。
日本じゃないですかね・・・お正月にガールフレンドを連れて帰るって・・なんだかなさそうですね。
連れて帰ったら、即、結婚とかそんな感じっぽいですね・・。
ま、それはいいとして。
NYから「カップルチケット」という割引チケットを買ってバスでフィリー(フィラデルフィアのこと)に行き、彼の実家で伝統的なイギリスの(彼の両親はイギリスのひと)クリスマスを過ごし、翌朝二人で映画を観に行きました。
クリスマス映画というのは、本当にクリスマスに若者たちを中心に多くのひとが映画を観に行くからあるのです。
アメリカの伝統のようなものです。
その日は、とても寒い日でしたが、空が抜けるように蒼く、風が頬に気持ちが良かったのを覚えています。
あまりにも映画館が混み合っていたので、映画はあきらめて二人でぶらぶら仲よく手を繋いで歩いていたら、向こうから中年のおじさんがやってきました。
「メリークリスマス!」
と、言って、いきなり100ドル札をわたしにくれました。
「君たちの姿はとても微笑ましい。いいカップルだ。そんな姿を見せてもらえた僕の気持だ。受け取ってくれ。君たちに素晴らしい未来がきっとありますように。」
そういって、颯爽と去って行きました。
当時で、しかも学生だったわたしたちには、100ドル札は大きなお金で、ビックリしました。
そのころのアメリカは、意識が少しずつ変わり始めていたときで、多くの成功したビジネスマンがすべてを捨てて自らホームレスとなり、路上で暮らしたりしていました。
お金と地位だけがすべてではない、資本主義には終焉がくる、と一部のひとたちはすでに感じ始めていました。
腕利きのエリート弁護士が、路上で暮らしながら働いているという噂もありました。
そんなひとたちが、世の中のためになるよう、お金をあちこちで渡していたりしたのです。
クリスマスは、特にそんなひとたちが出没する季節でした。
そのひとも、そういうひとりだったのだろう、と後でみんなで話し合いました。
着ているものは上等で、言葉も態度もいかにも知性的でしたが、どうみても、ホームレスだったからです。
手編みの靴下ではありませんでしたが、こころが暖かくなり、勇気付けられました。
日本でもいま、仕事やお金で困っている人たちが沢山います。
でもお金じゃなくって、愛を渡す勇気が出てくるといいな、と思います。
そして、お金のあるひとたちは、少しでもいいから、世の中に貢献できること、誰かと分かち合うことを考えてくれるといいな、と思うわたしでした。
I wish every one of you very merry Christmas and try not to lose the sight of light within you.
I shall do the same.
Love,
Makouta/Kaoru
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