2兆円の国の財源で、国民ひとりひとりにお金を配るという財政予算案が可決されたそうです。
麻生さんは「国民に一番身近な問題が解決できてよかった」とニュースのインタビューに対して言っていますが、このひと本当におかしいです。
政治家は、国民の立場に立って鑑み、自分だったらやってもらって嬉しいと思うことを、政策として実行するものです。
でも、一晩で数十万円ものお金を酒代に使う麻生さんは、1万2千円もらっても嬉しくないでしょう?
だったら、なぜ国民は1万2千円もらって歓ぶと思っているのでしょう?
ひとをバカにしているとしか思えません。
「オレには1万2千円は、金とも言えないくらいの額だけど、国民にとってはありがたくてしょうがないだろう・・」
でも、なんでこのひとが首相なのだろう。
つくづく考えて、いつだったか友だちと話しになりました。
アメリカは大統領は国民投票によって選ばれるけれど、日本は国のトップを自分たちで直接選ぶことができない。
その理由はなんだろう?
日本の議会制度はイギリスのものを明治時代に模倣して始まったように覚えています。
イギリスと日本の共通点は・・・と話しているうちに、なんといっても皇室があることだ、といきなり気付いたのです。
アメリカは民主主義の国で、国王とか天皇とかがいない。
だから、国民が主権者で、国民が国民のリーダーを直接選ぶのです。
けれど、イギリスも日本も国民が選ぶことはできない。
国会議員は選ぶことはできても、首相は直接選ぶことはできない。
もしできたら、天皇制そのもののイディオロジーが崩壊するかも知れません。
日本には、確かに戦後、アメリカの影響で民主主義は導入され、立法国家となり、女性にも参政権が与えられ、経済的には国民のほとんどが中流という、世界的にも珍しい形を実現しましたが、実際のところ階級制度とその意識は深く残ったままだと随所に感じます。
国が一人当たり1万2千円配ることで、国民の一番身近な問題を解決した、とニタニタしてる首相がいて、その首相にたいして心底呆れているにも関わらず、自分たちにはどうしようもない、と多くのひとが無気力感を感じていることこそが階級社会の哀しいサガなのだな、と思うのです。
実際、制度的には国民にはどうしようもないのでしょうか。
アメリカだったら、次の選挙で辞めさせて、他のひとを選ぶこともできるのですが・・・。
だとしたら、日本国民に残されている道はなんなのでしょうか。
国会議員を選ぶときに、きちんと選ぶことがまず一歩なのでしょうか。
政治とはなにか、ということをまず考え直すことが必要なのでしょうか。
それとも、ひとりひとりの中にある根強い階級意識を抹消することでしょうか。
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