昨日は夕方の5時半くらいに、出掛ける前にちょっと横になるつもりでゴロンとなったらそのまま眠ってしまっていた。友だちと会う約束もダンスクラスも忘れて、昏々と眠っていた。何度か夜中に目を覚まし、ぼんやりとしてはまた眠った。こちらに着いてから時差ボケのせいで平均睡眠時間が3時間くらいになっていたので、昨日は限界だったようだ。
昔、『禅ダンス』というレッスンを何度か受けたことがある。アメリカらしいアプローチかも知れない。日本で、禅とダンスってあまり結びつかない。けれど、生きかたの哲学のひとつが禅であるとアメリカではとらえられていて、本質からそう離れてもいないように思う。
東京で言えば渋谷か青山の真ん中のようなエリア(SoHo)の、目抜き通り(Broadway)に面した広いスタジオで行われた。正直のところ、最初わたしは懐疑的だった。「アジアンチックなアメリカ人」に妙なズレを感じることがよくあったからだ。けれど、この日は少し違った。着替えをすませて集まると、参加者全員に輪になって立つように指導者が言い、手を広げて両腕を60度ほど挙げ、耳を澄ませ、呼吸に意識をもってゆき、感覚を研ぎすますように言われた。そして「すべてを受け入れなさい」と言われた。
外には街の喧噪があり、開け放たれた窓からいろいろな音が飛び込んできた。それも、ただ「ある」ものとして受け入れるように。そして、部屋の中の空気、周りのひとのエネルギ−、なにひとつ遮断しないように。価値判断を棄てること。良いとか悪いとか嫌だとか好きだとか、そういうものをすべて排除して、ただ「ある」周りと自分を受け入れるように・・・。そして、そこからゆるりと即興ダンスが始まった。
わたしにとっては衝撃的なアプローチだった。騒音は邪魔。落ち込んでいる人はなるべく見たくない。嫌なエネルギーからは離れていたい。たいていそう思って暮らしていた。ブロードウェイの喧噪まで受け入れるなんて・・・。以来、わたしはものの見方が大きく変わったような気がする。
時差ボケは好きではない。自分の体のリズムと環境のリズムが大きくズレるのは生理的に気持悪いだけでなく、とても不便だ。昼間にものすごく眠くなり、夜中にエネルギ−全開になる。着いて次の日に眼鏡屋に眼鏡を買いに行ったけれど、頭が朦朧としていてどれがいいかなんて決められなかった。だから未だに目も見えない。もう、こうなったらカフカの世界になる。上もない。下もない。時間の流れもない。ただ、漠然としたグレーゾーンにいるのだ。
禅ダンス以前のわたしだったら、幼い頃のわたしだったら、このカフカの世界とは闘っただろう。もっと明瞭で分りやすく、そして自分の意志と理想を実現化する世界を目指していた。長旅をするたびにハーブの睡眠薬を飲んでいたこともある。眠りをコントロールしたかったのだ。けれど、いまはそうしない。確かに、心地悪い。確かに、不便だ。けれど、すべての瞬間をそのまま受け入れそこから最善を尽そう、と気持が変化してから、不安や焦りがずいぶん少なくなったような気がする。
まだ外が明けやらぬうちにシャワーを浴び、数日前に近所のドラッグストアで買ってきた小さな瓶に入ったアーモンドオイルを全身に塗り、ストレッチをして深呼吸をした。街が徐々に目覚めてゆく音に耳を澄まし、自分の体と、いまここにいる自分を確かめていたら緩やかな気持になってきた。そうして静かにひとりで床に横になっていたら、ここの小さな男の子が目を覚まし、ぱたぱたと足音をたててわたしの部屋に走ってきた。そう、わたしたちは大の仲良しだ。
赤のシマシマ模様のパジャマが鮮やかに灰色の世界に飛び込んできて、わたしのカフカな朝は終わった。今日は、ダンスクラスを二つ受けてみようと思う。
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