同じシチュエーションでした。そう、怪我をしたときと。怖かったです。
昨日は、ママディ・サノさんの火曜のクラスでした。怪我をしたときと違って(あのときは遅くなって準備体操を逃した)時間通りに到着したのですが、ママディさん、ものすごいスピードで最初から飛ばし、準備体操も準備体操ではない状態になり、わたしのふくらはぎは温まっていませんでした。それでもどんどんクラスは進み、しかもラインになって踊るときになると「マクタ!一番前。」とママディさんがわたしを指名するのです。彼の最近のスタイルには慣れていないし(新しくなってから通算5回くらいしか受けたことがない)、体は温まっていないし、一番前は勘弁してください、って断ったのですが、ものすごい勢いで「Makouta, Won Gai!」(マクタ、レッツゴー!)と言われ・・・
NYのダンスクラスでは、ラインの一番前というのはクラスのペースを決めるための重要な位置です。踊れるひとがやらなくてはならないし、スピードも集中力もなくてはなりません。手本にもなるので責任もあり、プレッシャーもあります。以前のわたしは平気で一番前でよく踊っていたのですが、昨日は正直、恐怖でした。怪我をしたときと似た状況だったからです。あのときも、まだ体が温まっていないのに、しかも慣れていない先生だったのに「一番前!」と言われて渋々行って、渋々踊っていたら怪我をしてしまったのです。そのときの先生はママディさんではなかったのですが、同じギニアダンスのクラスでした。ちょっとドキドキしました。あ〜、また怪我しちゃうかも〜・・・。周りを見渡して、代わってもらえそうな人はいないか探しましたが、運悪くいませんでした。
それで自分に言い聞かせました。「これは、どうも逃げられないようだ。リラックスしよう。できないステップがたとえあったとしても、無理はしないでおこう。ダンスすることに集中しよう。」
クラスは難しかったです。とにかく、慣れていないし、早いし、複雑で・・・でも、なんとかやりこなしました。終わったときはものすごい安堵でした。
馬から落ちたら、すぐにまた馬に乗るのが一番の治療法だということわざがあるように、わたしも、同じような状況を経験することが必要だったようです。しかも、怪我をしたNYで。NYのギニア人たちはとにかく容赦がありませんが『マクタ、前!』と、あの強さで押されたわたしは、今思えば幸運でした。
おかげさまで、随分すっきりしました。失われていた自信が回復してきたようです。正直のところ、まだ日本に帰る気分ではありませんが、帰って踊り、リハーサルを再開するのに大きな峠を越えたような、そんな気分です。
怪我をしてちょうど1ヶ月半くらいの足。手術後、痛み止めを飲まなかったために異常に痛かった・・・。戦争で傷付いた人たちのことが思われて、病院のベッドで泣いたのを思い出します。それにしても、体に傷がつくとこころも傷つくことをつくづく思いました。
怪我をした左足のほうが随分細ってしまいました。たった、1ヶ月ちょっとで人間の体ってこんなふうに変わるんだ、と驚きました。未だにまだ少し左のほうが細いです。怪我をするのは一瞬ですが、回復するには時間がかかります。それでも、努力を続ければ回復するのが人間のようです。この長い闇の時間は苦しかったですが、いまは、それも大切な贈り物だったように思います。
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