エルトレインが入ってきた。気付いたら、飛び乗っていた。
本当はダンスクラスに行くつもりだったけれど、なぜか地下鉄の出口から出ないで、エルに乗りたい、という衝動にかられてしまった。もう、何年も乗らなかった。すくなくとも、ブルックリン行きには・・。なぜってそこはわたしが住んでいたところだったから。過去を振り返るのはもともとあまり好きではないけれど、ブルックリンの場合は怖かったのかもしれない。珍しく長い間同じところに住んでいたし、思い出が詰まり過ぎている。でも、前に進むために見ておこう、と突然思った。
Grahamアベニュー駅で降りた。昔からのスーパーマーケットも、99セントストアも薬局もそのままあった。足は自然に前住んでいた家に向った。駅から数十秒のところにある。角を曲がったら目の前にあった。こんな大きな家に住んでいたのか・・と改めて思った。そう、一軒家にわたしは住んでいた。6年くらいいたけれど、最後はほとんどひとりだった。二階建てで、広いリビングとダイニングの他に四つ寝室があり、ジャクジー付きの大理石張りのお風呂、吹き抜けのガラスの天井、20帖以上あるデッキ、トイレは三つ、お風呂は二つ、暖炉付きで、食洗器、洗濯機、乾燥機、大きな冷蔵庫、もろもろ全部ついていた。
そこから日本に戻ったときはカルチャーショックが大きかった。もともと田舎の出身で大きな家が普通だったのもあったのかも知れないけれど、東京の貧弱な住居環境には驚かされた。過去を振り返ると今があまりにも惨めに感じると思ったのかもしれない。NYを離れて日本に戻ってから一度も、そう、ただの一度も戻らなかった。
けれど今日、突然、本当に突然、ホームに入ってきた電車に飛び乗った。
わたしの住んでいた昔の家の窓は開いていて、中を見ることができた。ひとがいたので、ベルをならせばきっと入れてくれたことだろう。けれど、少し見ただけで十分だった。家は同じだが置いている家具も違い、すでにそこはわたしの家ではなかった。すぐに隣りに行った。このお隣とは仲よくさせてもらっていた。イタリア人一家で、しょっちゅうパスタやイタリアンスープを食べさせてもらい、悩みがあると聞いてもらい、家事のやり方を教えてもらったりした。そして、子供たちはいつもわたしの家にいた。
夏は広いデッキでビキニで日焼けをしたり水浴びしたり、冬は暖炉でマシュマロを焼いたりした。写真を勉強していた間、モデルになってくれたのも子供たちだった。お陰で宿題が早く終わった。そしてなにより、競争社会で生きていたわたしに、彼女たちの純粋さは救いだった。
なんの前触れもなく行ったので、誰もいない可能性もあったけれどなぜか確信を持ってドアベルを押した。しばらく静かだったので、諦めようかと思ったときにドアが開いた。アマンダだった。わたしの大好きだったアマンダ。お茶目でおませで賢かったアマンダ。もう17才になっていた。わたしよりずっと背も高くなっていて、今年から大学生。いま、入試試験の結果待ちだそうだ。しかもなんと、2階の自室にはボーイフレンドまで来ていた。幼稚園から小学3年の間の付き合いで、背はわたしの胸までもなかった小さなアマンダが・・・
彼女はわたしとの時間をすべて覚えていて、アフリカンダンスのスタジオに連れて行ってあげたことも、洋服を買ってあげたことも、一緒に動物園に行ったことも、うちの敷物が柔らかかったことも、そしていつも写真のモデルをしていたことも、どんなポーズだったかもすべて覚えていた。そして、いま、彼女自身が写真に興味があるという。
レイノルズ一家は、わたしが突然現れたのを両手をあげて歓んでくれ、しばらく滞在してもいいわよ、上の娘が6月まで戻って来ないから彼女の部屋を使って、とまで言ってくれた。今いるところにも小さなボーイフレンドがいるので、移るわけにもゆかない(笑)。でも、その気持が嬉しかった。
わたしはなにを恐れていたのだろう。あの頃のわたしが今のわたしを見るのが怖かったのだろうか。これだけ時間がたっているのに、成長していない、と思うのが怖かったのだろうか。いや、本当は過去を過去として葬り、前に進むのが怖かったのだろう。
もう、過去に引きずられないようにしよう。数日前、再会した彼が言った。
「もう、始まってしまったんだ。引き返せない。」
一歩はすでに踏み出していたのだ。歩き続ける勇気を持つしかない。今日、Devoeストリートに戻ったことで、昔の家をそれほど深い感慨もなく見ることができたことで、レイノルズ一家と再び会ったことで、背中の荷がひとつ下りたようにこころが軽くなっている。なんにしろ相変わらず素敵な一家だ。わたしは幸運である。
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