なぜ、アフリカンダンス?2を書いてから、随分時間が経ちました。今日は、ママディさん(ギニア)のクラスを受けた後、ババカールさん(セネガル)のクラスの写真を撮影がてら見学しました。沢山の知りあいが集まっていました。ず〜〜っと会ってなくて、どうしてるかな〜と思っていた人とも再会できました。
たまには見学するっていうのもいいものです。少し距離を置き、いろいろなひとの踊る様子をみて、自分を振り返ることもできますし、踊りと音楽を冷静に見ることもできます。途中で「やっぱり踊れば良かったな〜」なんて思いましたが(笑)、それでも、見ているだけでも充分楽しかったです。太陽が牡羊座に入っていたせいか、みんな晴れ晴れをした顔をして踊っており、最後に輪になってソロをやるときも、それぞれ素晴らしい踊りでした。
そして、思いました。わたしが踊り続ける理由はいろいろありますが、そのひとつは、ひととの繋がりです。ダンスをするということは、体と動きを通して、周りと繋がるということです。その方向性には二つあって、ひとつは縦向き、そしてもうひとつは横向きの繋がりです。師弟関係、天と地との繋がりが縦の関係であり、仲間、ライバル、そして環境との繋がりが横の関係です。この横の繋がりのありがたさを今日は改めて感じたのです。
踊るということは、見栄やウソや殻や自意識をすべて棄てて裸になった状態で人前に立つということです。アフリカンダンスは、もちろん型や技術は大切で基本ですが、一番最終的にはそのひとのひととなり、そして個性が大切にされるので、特に、魂が裸になるのです。わたしたち仲間は、ずっと裸で付き合いをしてきたのです。
そう、長い間同じフロアで、時には同じ舞台で踊り続けてきたわたしたちは、肉体を介して魂を共有してきた仲間なのだ、と感じるのです。そして時には、互いを映し鏡とし、ライバルであったり刺激であったのです。
「ひとはひとりでは生きて行けない」とよく言いますが、わたしは常々、ひとりでも生きて行ける、と思ってきました。そして、それは事実だと思います。ただ生きるだけなら、ひとりでも生きれます。山や海で暮らし、自然とともに、神とともに生きてきた人たちはこれまでもいます。山姥たちがそうです。修行僧たちもそうです。けれど、ひとと一緒に生きることは時には苦しく、時には厳しいものですが、そこには豊かさがあることを踊りは教えてくれるのです。一緒に踊ると、ひとりでは決して造り出すことのできないエネルギ−、声、そして歓びが生まれます。そしてわたしは、人種差別や、ライバルとの葛藤でこれまで苦しむこともありましたが、彼女/彼たちとこれまでずっと一緒に踊ってきたことを人生の宝物のひとつだと感じています。そして、それが踊り続けてきた、そしてこれからも踊り続けるであろう理由のひとつだと改めて思ったのでした。
尊敬してやまないマサコさん。無心に踊ることの歓びを追求しているひとです。
今日はフランソワーズの誕生日。彼女は長い間国連の職員を務め、サバールダンスをこよなく愛した人。フランス人で、サバールダンスのドキュメンタリー映画も制作しました。 今日はババカール先生と一緒にソロダンス。
映画の一部がYou Tubeにアップされています。ナレーションの声も、フランソワーズです。
実は叩いてばかりのわたし。最近踊りたくなってきたのです!
ユーチュウブまだ見れてないけど、…ブログもまだ読みきれてませんが ゆっくり時間がある時見ます!
ダンスであたしを解放してみた~い。
投稿情報: oto | 2009年3 月25日 23:56