昨日の爆笑問題の番組は・・見てみましたが、まぁまぁでした。太鼓が言葉であること。その言葉を解読したこと。文字を使わないひとびとの持つコミュニケーションの深さについて、などについて語られていましたが、短い番組であるせいか、太田さんのお話が長過ぎたせいか・・肝心なことがすごく抜けているような感じでした。
残念な結果でした・・・。登場した学者の話しはあまり聞けなかったのですが(太田さんがほとんど話していた・・)多分もっと学者は知っていたのではないか・・というのが印象でしたが、やはり日本にはアフリカは遠く、理解するのは難しいんだな、というのを逆に納得しました。アフリカンをやる人間には、太鼓のフレーズが言葉であることは当然の知識であり、それを大げさにいまさら言われても・・・ なにかもっと新鮮で驚くようなことを言ってくれるかと思いきや・・・あぁ・・・学問って本当に後ろ向きなんだな、わたしが学問だけを専門にする学校や組織が嫌いなのは、こうやって相変わらずひとを落胆させるからだ・・というふうにまで思ってしまいました。もちろん、学者にも学問にもそれなりの役割があるのは分りますが、それほどエラいもの?結局この学者も、いろいろ文字や肉体の感性について言っていてそれはそれで面白かったけれど・・王様に与えられる杖というのをもらった、と言って杖持ってふんぞりかえって座っていましたが、それって、ダンスにあわせて叩くこともできない日本の初心者ドラマ−がセセ(マスターだけに許されるジャンベにつけるもの)をつけて一人前以上の顔してるのと同じ。学者のオヤジさん、あなたはたまたまふる〜い歴史の謎のほんの少しをひも解いて違う言語に通訳してそれを文字化しただけで、太鼓が叩けるわけでもなければ、たかだか9年アフリカにいただけなのだから、頼むから王様気取りはやめて。文字をあがめ、子供からなにかを「実体験させる」ことを奪う現代の学校教育こそ、ものの道理のわからない人間を生んでいるのではないか。耳と五感だけを頼りに教育過程を終えたせいで日本の先生にいじめられ登校拒否児童となったわたしは、このひとを見て改めて思ったのです。
そして、一番残念であり、少し反感さえ感じたのは、最後に太田さんが「この日本のようなグチャグチャの世の中に、我々が失ってきたもので彼らの持つものを持ってきて共存させるというのが大切なんじゃないか」みたいなことを言っていたことです。簡単に言うな〜、しかもなんだかぞんざい、と思ったのです。
要するに、アフリカに残る、文字を持たない人たちの感性からなりたつ音楽なり踊りなりを現代文明に持って来ようとすると、非常な困難な壁にぶつかるのと同じで、簡単なことではないのです。それは、わたし自身も感じていることです。今、新しい音楽作りを始めていて、そこにはアフリカのリズムと現代音楽が混在しているのですが、それを周りのひとに理解してもらうことも、ひとつの形にすることにもものすごい苦労をしています。アフリカの文化は、単に「持って来れる」ようなものではないのです。ほかにも同じような試みをしたひとは、アメリカにも日本にもいますが非常に難しいのです。ブローウエイでも、ヒップホップの世界でも試されていますが、だいたいが「味付け」程度にアフリカのステップやリズムを「利用」しているだけで、本当の意味での融合の成功例はわたしはまだいくつかしか見ていません。正確には1つです。それは、ギニア人とアメリカ黒人の共同作業によって作られたもので、NYブルックリンのある若手グループです。見たのは何年か前で、今どうなっているか分りませんが、ヒップホップとアフリカのダンスとドラムが混じり、ものすごく素晴らしかった。しかし、他にはブロードウェイの作品でも、モダンダンスでも、ポップ音楽でも、あれほどのレベルのものは見たことがありません。アメリカで成功し、わたしの敬愛するモダンダンスのロン・ブラウンさんでも、残念ながら、アフリカとの融合という意味では、その域には達していないとわたしは感じています。
アフリカに残っている文化は、ものすごい年月をかけて作り上げられたものであり、一見単純そうに見えますが、非常に複雑で繊細で時には危うい力さえもったものです。それを「持ってきて一緒に混在させる」なんて簡単に言いますが、そうやすやすとは、しないのです。コチラ側にそれに太刀打ちできるだけの力も、受け入れるだけの知性も研ぎすまされた感性もないのかも知れません。アフリカの歴史は何十万年、日本は列島としての人間の歴史は1万2千年で、朝鮮王朝文化が力を持ってから2千年で、日本としては100年ちょっとで、その上、その短い歴史の伝統も崩壊しつつあるのですから。ダンスとドラムだけで言えば、体力的にも多くの現代日本人は着いて行けないのが現状です。しかも、アフリカは地理的にも日本からは地球の反対側にあるなら、考え方も感性もリズム感も、ものすごく違う・・世界音楽史的には、アフリカと日本と韓国はひとつの流れの中にあるというのが学者たちの意見ですけれど、それは置いておいて・・・
アフリカにある人類の知恵を日本の現代社会に持ってきて混在させることなんて、一筋縄じゃないでしょう。それは、日本に住んでいるアフリカのアーティストたちと日本人の間の壁がなかなかとれないのと同じことです。違いを見いだすことで最初は精一杯で、融合させるとか混在させるとか・・・そんな域にはなかなか・・・あぁ、頼むから牛乳と卵を混ぜてフレンチトーストを作る、みたいに言わないで欲しい、そんな簡単にできるならとっくにみんなそうしてるだろう、とわたしは頭を抱えたのでした。言いたいことはまったく分らないでもありませんが、アフリカ人の入国ビザさえこの国では容易におりないのに、日本人は言語がひとつしか話せないのに、体力さえないのに、この国はお金もうけ以外のこと特に文化にはまったく力を入れないのに、どうやってやるんだ?手だてさえ考えていないのなら、そんなふうに簡単に言って欲しくはなかった、と腹立たしくさえ思ってしまったのでした。
期待していたぶんだけ、また孤独に陥ってしまったのですが、とにかく、しばらくわたしはわたしの経験から感じること、思うことを綴り、自分の思う音楽と踊りの方向性を生きて行くしかないのだな、と、改めて考え直し、ちょっと気合いを入れ直さなきゃいけないかも・・と曇り空を眺めて思っているところです。
出会った時、アフリカの音楽には嘘がない。ってわたしは感じ、とにかく衝撃的であり、わたしの魂もこっくりうなずき一生ついて行こうと思いました。
まだまだまだまだまだまだ…勉強不足で何も語れやしないけど、素晴らしいものに出逢えたって感謝してるし、大切にしていきたいし、って改めて思いました。爆笑問題のテレビ少しだけたまたま見る事ができ、みましたが、もっともっと深いところの話を聞きたかったなって、、NHKはこんなものか…ってちょっと残念でした。おじさんだけ語ってくれないかなぁ~って思いました。
投稿情報: oto | 2009年6 月 5日 00:17