時差ぼけです。日本に戻っていますが、朝の5時前から起きています。戻ってきて2日間は走り回っていたのですが、今日やっと荷物をほどき部屋の中を整理しています。で、ちょっと荷物も落ち着き疲れたので、ソファに座ってヨーグルト食べながらテレビの録画を見たら、なぜかドリカムの特集が録画されていて、観たのですが・・いろいろな歌手がドリカムの歌を歌うという番組です。
その中に、「なんどでも、なんどでも」と夢や希望をあきらめないという歌があって(タイトルは定かではない)、絢香という女の子がこの曲を歌っていました。わたしはドリカムとは同年代であり、それだからこそ彼女たちの曲を知らないのですが(ずっと彼女たちが活動していた時期に日本にいなかった)ある若い女の子がちょっと前にこの歌のことを言っていたのを思い出しました。「好きな人がいて、ふられても、この曲を繰り返し聞いて『なんどでも、なんどでも』あきらめないでいたのに、結局ダメで・・いつまでもあきらめなかった自分が辛くて、この曲は聞くだけで嫌になる〜」わたしは、まだ幼さの残る20歳の女の子の横顔を見て、歌にそれほど影響力ってあるんだ・・と感心しながらも、ちょっと笑いながら同情していました。
ところが、今日この歌を番組で歌っていた絢香さんは、歌手として成功し、私生活も充実していて、子供のころからこの曲を繰り返し聞いていて「自分はこの曲のように、なんどでもなんどでも失敗してもあきらめないできたら、一万回に一度の成功がくることを知った」と、言っていました。
成功するひとと成功しないひと。あきらめるひとと、あきらめないひと。あきらめるべきことと、あきらめるべきではないこと。そして成功とはなにか、失敗とはなにか。やってみないと答えというのはわからないものです。けれど、ある程度自分で実はやる前から、答えはわかっていたりするものではないか、ともわたしは思ったりもします。自分で本当の本当にやる前から信じられる人というのは、すでに、成功する前から成功体験をしていたりしますし、信じられない人というのは、いくら環境や才能やいろいろが整っていてもうまく行かなかったりします。
それにしても、同じ曲を聞いても、まったく違う経験と気持ちをひとによって持ちます。あらためて世の中の複雑さと不思議を思った時差ぼけ頭の今朝のわたしでした・・・。
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