と、わたしは自分に言い聞かせながら、というより、そう思いながらこのところシャワーを浴びています。実は、ガスが止まっているのです。この1ヶ月以上家にいず、ガス代を払っておらず、戻ってみたら止まっていました。でも、忙しくてまだ払えていなくて、止まったまま。当然、お湯が出ないので水を浴びているのです。
長旅のあと、熱いシャワーを浴びるのを楽しみにしていたわたしはガッカリしました。でも、仕方ありません。一気に浴びると冷たいので、少しずつ水をかけながら浴びているうち、だんだん自分がアフリカにいるような気がしました。と、言うより、体がアフリカを覚えていて自然とアフリカにいる気分になったのです。そう思ったら、嫌じゃなくなり、少し楽しくなってきました。お風呂に入るたび、今、わたしはアフリカにいるんだ・・・そう思うのです。
そして考えました。結局、人間の苦しみの多くは、自分の期待することと現実のギャップにイライラが生じることから起きる、と。例えば、人生は楽なはず、と思って生きていて、苦しいことがあるとものすごく苦しむのです。それから、「男はこうじゃなくっちゃ」と期待していて、おつきあいする相手がその期待と違っているとイライラします。または、自分自身に対しても、「こんな自分でありたい」と現実からずれた自分を期待すると、落胆は尋常ではありません。でも、そのままを受け入れれば、そう苦しくはないのです。もちろん、そのままでも苦しいことだってありますが、世の中の多くのストレスは、期待と現実のギャップにあるように思います。
もし、わたしが飛行機の中で夢見た「熱いお風呂」を思い描きながら冷水を浴びたら、もう、そりゃ嫌で仕方ないでしょう。でも、ギニアの星空の下でドラム缶から大切に汲みながら浴びた夜を思い起こしながら浴びると、こころが静かになり、水が愛おしく貴重なものに思えてくるのです。水を浴びているこのごろのわたしの肌はいつもより滑らかで、お湯がいかに肌の油脂分を持ってゆくのかを発見したりしています。
思いや期待というのは、時として希望や夢として大切なものでもありますが、現実にそぐわない、そして、運命に逆らうものが、人間の多くの苦悩と悲劇と嫉妬といろいろを生み出すのだなぁ、と水シャワーを浴びながら改めて思っているこのごろなのです。
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