とうとう9月になりました。この春から怒濤のような日々を過ごしていて、毎月、月が変わるごとに「来月は少し穏やかになるかな〜」と期待するのですが、ならず(笑)、ブログも以前ほど頻繁に書けないほどでした。けれど、台風が昨日関東を通り過ぎて思い出したことがありました。
昔かかっていた大好きな精神科医で、チベット仏教の尼でもあったダイアンが言っていたことです。
「台風が来ていて周りでごうごうと風が吹き荒れていても、あなた自身が台風の目の中にいればよいのです。」
あなたは、台風と台風の目を経験したことがありますか。わたしの育った九州では、台風が毎年沢山きました。運動会は台風と台風の間をぬった、秋の空の下で行われました。また、丹精こめてお百姓さんが作った稲は、強い風と雨で倒れてしまうこともあり、台風は生活の中で身近な存在でした。そして、小学校の時の先生が台風の目について教えてくれ、それから台風の目を探すようになりました。九州の台風は激しく、木が倒れたり、家の屋根が吹き飛ばされたり、洪水になることもしょっちゅう。けれど、台風の目は、台風の中心にあり、そこだけはは風も吹かず、雨も降らないのです。
台風がくるたびに、『目』がくるのを子供のわたしは待ちました。横殴りに降る雨と、音を立てて暴れる風をワクワクしながら家の窓から見つめました。『目』はいつも来るわけではありません。気まぐれにコースを変える台風は、いつも同じところを通るわけではないからです。けれど、子供だったわたしは、辛抱強く毎回待ちました。『目』が来ると、あたりは急に不気味なほど静まり返ります。そのときを狙って、急いで外に出るのです。そして、大きな鬼の目がこちらを見下ろしているのではないか、と空を見上げました。
ダイアンが言った「台風の目であれ」をあらためて思います。
政権も民主党へと移りました。このごろ、ゴロゴロといろいろなものが大きく変化し、わたしだけでなく、怒濤の中を生きている人が多くいます。
台風の目を生きよう。周りでどれだけ嵐が起ころうとも、風が吹き荒れようとも、雨が降ろうとも、己が日々をこころ穏やかにいられるといい・・・そうこころあらたにしています。外では鈴虫が鳴き、台風の季節がやってきています。
コメント