NYから戻って来る前の日に、なんだかこころもとない気持ちになり、全身に寂しさが溢れ、セントラルパークの樹の下で横たわったことは書きました。
これと言って悪いことが起こったわけではない、と書きましたが、正確には、なにも起こらなかったわけでもないのです。
事件やなにかが起こったわけではありませんが、内側からなにかが崩れたのです。
崩れたのは、それまで作っていた壁です。
ある本を読んでいて、自分の中にあった壁に気付かされたのです。
前からあったことは知っていましたが、そのとき突然その存在と障害をはっきり感じたのです。
そうしたら、崩れました。
ガラガラ〜っと音を立てて。
あらま〜って感じでした。
スッキリしたのですが、同時にその壁を作らなくては生きて来れなかった自分の哀しみにも気付いたのでした。
開放と同時に、人間でいることの矛盾と哀しさを感じていたのです。
今回の中国の地震も同じように感じます。
7.8マグニチュードという大きな地震は、何万人という死亡者を生んでいます。
累計では5万人を超えるだろうとニュースで言っていました。
恐ろしい数です。
何十万という家屋が倒壊もしています。
地震は天災ですが、実のところ、人災になってしまっています。
以前にも書きましたが、現代人は自分たちで作った建物に潰されて死んでいるのです。
地面が揺れても、平地を歩いているだけだったら、よほどのことがない限りよろけて倒れるくらいで終わりで、なにかに潰されることは、ないでしょう。
倒壊している山もほとんどが、人間が手を加えて地盤が緩くなっているものが多いと聞きます。
なので、結局のところ、人間は自分たちの手で作ったものの下敷きになって死んで行っているのです。
人は雨露をしのぐ場所が必要です。
心地よい住居環境は精神的にも安らぎを与えます。
なので、建物を建てて来ました。
けれど、このように地震があったりすると、それに潰されて死んでしまう現象も起こしています。
ここのところ、中国は多くの試練に直面していますが、わたしは、中国を通してなにか大きなメッセージが人類に送られている、と感じています。
ところで、つい先週、NYのオシャレなキッチン用品売り場で買い物をしていたら、明らかにアメリカの田舎から来たと見られる白人のおじさんが、ある商品(サラダスピナー)を手にとって大きな声で言いました。
「なんだ!中国製か!」
NYのオシャレな街角のオシャレな店だから、ヨーロッパかどこかの製品だと思い込んでいたのでしょう。
まだまだ中国製には二流品のイメージがつきまとっています。
そして、どうしても白人社会には、アジアを含む有色人種への差別意識がつきまといます。
一緒にいた奥さんは、すぐ傍にいたどう見ても東洋人のわたしを気にしていました。
わたしは、にこやかに二人に向って言いました。
「それが、今の世の中の現状です。」'That is how things are these days.'
夫婦は少し恥ずかしそうな顔をしながら、その商品を持ってレジに行きました。
倒壊した建物の下にいる人たちが、わたしたちの物理社会を支えて来たのです。
NYのオシャレな店から、日本中の100円ショップの品々まで、公害に喘ぎながら低賃金で作って来たのは彼ら中国人です。
その彼らも、明日の豊かな物理社会を夢見ていたのです。
牡牛座は物理社会を現し、そして、サソリ座は生と死と再生を現しますが、その典型的な事件が起きたと言えます。
消費ばかりに血眼になって来たわたしたちを支えていた、もろい壁が崩れ落ち、多くの人を殺したのです。
ここから再生への長い道のりを、わたしたちはどうやって歩むのか。
果たして世界はこのメッセージをどう受け止めるのか。
そして、その先にひかりを見いだすことはできるのか。
膨大な数の犠牲者へ、こころからの追悼の意を現すと同時に、わたしたちがこの破壊からなにかを学び、これから当面続くであろう崩壊と混乱のなかで、生きる勇気と希望のひかりを見失わないことを祈りたいと思います。
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