ダンスをやっていてそれぞれ目標があると思います。
一番の基本は、楽しみでやりたいのか、それとも上手くなりたいのか。
ここがポイントだと思います。
今日は、そのことをお話ししたいとおもいます。
わたしは、何度も何度もうるさいくらい言いますが(笑)家事が苦手できました。
掃除も料理もできませんでした。
この数年で魔女修業となうって修行をやってきました。
その中ですごいことに気付いたのです。
レシビは全部が全部美味しいというわけではない。
ド素人のわたしにしたら、本を出版したりテレビに出ていたりしたら、みんな凄い人で、きっとみんな美味しいものを作るのだろうと思っていたのです。
ところが・・・レシピ通りにしても美味しくないものがあることに気付いたのです。
なるほど、アフリカンダンスと同じだ・・。
それから、美味しい美味しくない、は個人的な嗜好と経験からくることにも気付きました。
関西と関東では、まず味に基本的な違いがあります。
だしの取り方も違いますし、肉じゃがひとつにしても作り方のアプローチが違います。
けれど、美味しいものは絶対的に美味しい。
ダンスと同じだ・・・
それに気付いたのです。
これもダンスと同じですが、お料理でもプロのようにみんなが上手になる必要もないのです。
ひとには、向き不向きがありますし、また、環境や条件によって(家族がいる/いない、贅沢ができる/できない、田舎/都会・・田舎のほうが断然贅沢ができる・・等々)どこまでやるかは個人の選択です。
わたしの場合、舌だけは経験豊富です。
NYには、世界各国から素晴らしい料理人が集まっています。
チャイナタウンの汚い茶屋のメチャクチャ美味しい一個25円のあんぱんから、セントラルパークの真ん中にある高級料亭のコース料理や、今はないワールドトレードセンター最上階の『Top of the world』というベタな名前のレストランのやたら美味しいフィレミニョンから、予約なしでは入れない看板もないアッパーイーストサイドの高級イタリア料理までいただきました。
また、旅をしてきたので、フィリピンの田んぼと湖の真ん中にある観光客の行かない地元の金持ちのゆく高級レストランから、シチリア島の漁師村の新鮮な海鮮パスタから・・・書き尽くせないほどの美味しいものを食べて生きてきました。
しかも幼い頃、好きな食べ物はカラスミとフランスの砂糖菓子、と平気でいうバカ贅沢でもあったのです。
そんなわたしが、自分で料理を作ったらどれだけの地獄を味わうことになったか・・・ご想像いただけるでしょうか?
とにかく、まずい・・・
本当に自分の料理を食べながら涙を流して泣いたこともあります。
まずいものって最悪です(笑)。
そうして、修行ののち、わかったのです。
自分にできるのは、一回の食事で一品。
それだけ。
なので、ほとんどワンプレートディナーです。
要するに、ひとつのお皿にすべてが載っているのです。
たま〜に二品以上あると、ものすごい幸福を感じます。
そして、たま〜にお金のあるお姉さん(お兄さんではありません・・・笑)に、贅沢なフランス料理屋や高級日本料亭などに連れて行ってもらうのです。
日本には正直のところ、本当に美味しいもの(添加物を使わず、食材を選び、良質なものをつくる)を出す店がほとんどありません。
そして、たまにあると、やたら量が少なくて高い!
封建的な国です。
そして、あまり豊かとは言えません。
一般市民のほとんどは、わたしに言わせるとマズいもの食べています・・・。
食の環境は劣悪です。
第一、21世紀に入ってすでに10年近くだというのに、なんと、都会に青空市場もなければ、無農薬野菜が手に入る店さえ限られているのですから・・・。
このような環境の中で、わたしは自分のなかで、料理と自分の向かい合い方を知ったのです。
自分自身にお金と腕と経験がなく、環境が劣悪な場合どうするか・・・。
素材になるべく気をつけ、シンプルに食べる。
そう、わたしには子どももいないし、料理人になる気もないので、これで良いのです。
ただし、肉体労働なので素材と味には気をつけなくてはいけません。
レシピも選びます。
これがわたしの結論でした。
アフリカンダンスでも同じです。
ひとりひとりが自分にとってのアフリカンダンスと、向かい合い方を知って行く必要があるのではないかと思うのです。
そうでないと、混乱するばかりです。
食の環境と同じで、日本におけるアフリカンダンスの環境はよくありません。
第一アフリカは遠い土地です。
すぐに行って教えを乞うこともできません。
遠いが故に、アフリカのひとたちの日本での人口も限られています。
そして、在日のアフリカのひとたちは生活に苦労しています。
また、アフリカンダンスを知る日本の一般のひとたちも少ないので、なにが良くてなにが良くないのか、の基準も曖昧です。
良いものを見る機会も限られています。
その中でアフリカンダンスをやってゆくには、(わたしの料理のように)自分がどうありたいのか、を決めて行かなくてはならないでしょう。
まず、自分は上手になりたいのか、ただ楽しみたいのか。
つぎに、どれだけ上手になりたいのか。
お金をとって人前でやるほどになりたいのか、自分が納得する程度で良いのか。
それらを知る必要があると思います。
そして知ったら、それに対処して行くのです。
上手になる必要がないと思ったら、好きにするのがよいと思います。
アフリカンダンスはとにかく楽しいものです。
こころと体の健康のため、体を壊さない程度に、生活に差し障りのない程度に楽しむのが良いと思います。
ジムに行くより断然効果がある、とわたしは感じます。
けれど、上手になりたかったらそれなりのことをしなくてはなりません。
まずは、先生を選ぶことです。
わたしがレシピを選ぶように・・・
習う相手というのは大切です。
特に踊りは、レシピでもないのでDVDやビデオでは決して上手くなりません。
お料理だって、最終的には料理上手で先生までしていた祖母や、美味しいもの好きの母に秘訣を聞きます。
そして祖母や母や、これまで経験してきた料理をするひとの手つきや雰囲気を思い描きながらやります。
そう、ピーチパイだったらアメリカのお母さんのナイフの持ち方。
お味噌汁だったら祖母の手つき・・・。
匂い、色、動き、すべてが関係してきます。
ダンスも同じです。
音、匂い、全体の動き、表情、そのときのひかりの色・・・
いろいろな先生をまず経験するのが良いと思います。
日本でも、アメリカでも、アフリカでも。
アフリカで育ったひとだったら周りに沢山素晴らしい人がいるので、自然と自分で選ぶことができます。
けれど、アフリカから遠い日本では、自分から意識的にやらなくてはなりません。
それも、一度だけ経験してみるのではなく、ある一定期間いろいろなひとを経験してみることです。
自分にとって良い先生かどうかは、それぞれの基準です。
けれど、しばらく経験してみなくては判断はできません。
技術的には、そのひとの生徒がどれだけ上手になっているか、を見ればすぐに分ります。
相性的には少し時間をかけてみることです。
そして、それぞれの先生の言うことをきちんと聞くことです。
それから・・・なにより、踊り続けることです。
週に1度や2度のレッスンでは、「決して」上手にはなりません。
そして1年や2年では絶対に無理です。
最低でも10年はかかります。
これだけは確実です。
辛抱がいります。
それから、良いものを見ることです。
目を養うのです。
アメリカやアフリカに行ったなら、レベルの高いものを見ることです。
それから、日本でも、演劇や日本の伝統美術や工芸があります。
それらを見ることです。
なにが「良いものか」なにが「美しいのか」を知ることです。
それから、上手になりたかったらやってはいけないこともいくつかあります。
きちんとした、自分よりも上の監督者なしで人前でパフォーマンスをやること。
DVDやビデオで教わろうとすること。
自主練だけですませること。
それから、一人前になる前にひとに教えること。
これらは、必ずそのひとの力量を落とします。
伝統芸能とは、そういうものです。
パンクでもロックでもないのです。
パンクもロックも伝統に反しているからこそパンクなのです。
でも、逆に言えば、伝統があるから、反抗するものあるからこそ存在するものでもあるのです・・・
いろいろ言うと混乱させちゃいますね(笑)。
とにかく、以上のことを考えたうえで、どこまでに自分がなりたいか、をまず定めることです。
そして、やってみることです。
途中で変わるかもしれません。
そう、わたしが気付いたらプロの料理人を目指すことがあるかも知れないように(99%の割でないと思うけど・・笑)。
または、途中で環境の変化や限界を感じて「やっぱり、楽しければいい」と思うかもしれません。
けれど、とりあえずきちんと決めることです。
そして、自分に妙なプレッシャーをかけたり、下手な欲は持たないことです。
わたしが、一日に二品以上の料理を作ると、最後には倒れそうになるのと同じです(笑)。
自分の身の丈に合った、環境と条件に合った、かといって妥協もしない・・・
自分の歩きたい道を見つけることが、そのひとの幸福に繋がるとわたしは信じます。
そしてこれは、ダンスだけではなく、すべてに通じることだとわたしは思うのです。
これまで長い間、才能のあるひとないひと、プロのひとそうでないひと、いろいろなひとといろいろな分野の芸術と芸能を沢山見てきて、自分自身の経験も通して思うことです。
多分そんなに間違っていないと思います。
わたし自身はどうか・・・?
いろいろ思っていますが、あまりに今回のブログは長いのでまたいつか。
とにかく、プロやすごい人にならなくても、わたしは、アフリカンダンスには素晴らしい魅力と、現代人に必要な多くのヒミツが隠されていると感じます。
そしてプロになるには、相当の覚悟が必要です。
外国人力士のつもりでやることになります(笑)。
それどころか日本人は足腰が弱っていますし、伝統へのこころが失われがちですので、外国人力士よりハンデは大きいでしょう。
でも、困難に立ち向うのが好きな人もいます。
お互いに、自身を見つめ、幸福への道を歩けること・・・祈っています。
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