otoさんにもコメントをいただきましたが、今は、これまでの社会のひずみが出てきている時だとわたしも思います。
子供のころ「仙人になったカン先生」という本を持っていました。
そこには、冷蔵庫も掃除機も洗濯機もテレビも使わないことにした、カン先生のことが書かれていました。
機械を買うことに夢中になり、お金儲けに夢中になっている町の人たちに後ろ指を指されながらも、「便利な機械」が結局はみんなを貧しくしてしまうだろう、とカン先生はすべてを捨て、山にこもって今で言う「エコで自然な生活」に戻っていったのでした。
今、手元にその本がありませんのではっきりとした言葉は思い出せませんが、まだ幼くてよく理解できないわたしに、母や祖父が分りやすい言葉で、資本主義の辿り着くだろう暗い未来を教えてくれたのでした。
「あのね、便利っていうけれどね、機械を使っていると人間の感覚が鈍るんだよ。
テレビを見ると馬鹿になってゆくよ・・自分の頭で考えることができなくなるんだよ。
このままだと、世の中はとんでもないことになるよ、きっと。」
今、まさしくそれが起きています。
食品問題が毎日のように挙げられ(今度はどこかのハム会社)、フランスのボルヴィックという水にも異臭があったとかいうニュースが今夜のニュースでは取り上げられていました。
少し、みんなヒステリックになっているような気がしないでもありません。
けれど母は昔からいっていました。
ボトルに入っている水には防腐剤などが入っていて信用できない。
第一、一体どこの水なのか誰に真相が分るというのだ。
家の井戸水を飲みなさい。
わたしは言いました。
土壌汚染が進んでいる今、井戸水も怖い・・・。
母は水脈を調べむきになるかのように深い深い井戸を掘り、保健所に検査をしてもらい、「安全」で美味しい水で生活しています。
実家のお風呂にはいるとお湯が柔らかく、ご飯を食べるとお米がふるふるしています。
今のわたしは東京に住んでいるので、仕方なく高いお金を出して浄水器を取り付けそれで生活をしています。
もちろん井戸を掘るよりは安く、実家の水とは比べ物にならないほどまずいですが、普通の水道水よりは100倍ましです。
ときどき、わたしはため息をつきます。
わたしの体にはどれだけの毒が溜まっているのだろう・・・。
こんな危険な世の中をひとびとは、なぜ豊かだとか便利だとか呼ぶのだろう。
それにつけても、ホピ族の長老の言葉をこの頃とみに思い出します。
「飲み水はどこにある?」
「畑はどうなっている?」
わたしたちは、自分の飲む水がどこからどうやってきているのか、食べるものを誰がどこでどんなふうにどんな気持で作っているのか気にもせずに、パッケージのデザインや、値段や、雑誌やテレビの口車で口に入れてきて、農薬や化学物質が検出されると、驚いたような顔をして「誰が悪い」「彼が悪い」と指を射し合っているのです。
If this was not the darkest hour before dawn, what else could it be? もしこれが夜明け前の一番暗いときでなかったら、なんだと言うのでしょうか。
今再び、ここにホピ族の長老の言葉を記載したいと思います。
読むたびにこころに響いてきます。
そして今、目を見開いて周りをしっかり見渡す勇気を、わたしは全身で集めています。
深い深い息を闇の中でしながら、きっとその向こうに現れるだろうかすかなひかりを信じて・・。
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ホピ族長老の言葉
皆に伝えるのだ。我々は「その時」はもうすぐそこだ、とずっと言い続けてきた。しかし今こそが「その時」なのだ。
さあ、心ある者たちよ、次のことをよく考えるように。
あなたはどこに住んでいる?
何をして生活をしている?
人間関係はどうだ?
正しい関係にあるのか?
飲み水はどこにある?
畑はどうなっている?
真実を語るようになさい。
自分のコミュニティを作りなさい。
互いを慈しみあうように。
そして、自分の外にリーダーを求めないように。
考えるときなのだ。
河は今激しく流れている。
あまりに流れが早く、恐れる者もいることだろう。
恐れる者たちは岸にしがみつくことだろう。
まるで、自分が粉々に引きちぎられるような気がして
苦しむような気がするのだ。
長老たちは言っている。
河には河の行き着く先がある。
長老たちは言っている。
岸から離れなさい、
河の流れの真ん中に行きなさい、
決して目を閉じてはならない、
そして、顔を水の中にもぐらせてはいけない。
しっかりと見るのだ。
誰が自分と同じように水の中に入る勇気を持った者か。
これは歴史の流れなのだ。
個人的な問題ではない。
少なくとも我々、意識のあるものにとっては。
この時期、わたしたちの精神的な成長や、旅は一時的に
停止しなくてはならない。
一匹狼の時は終わりにきている。
苦悩、と言う単語はあなたの態度から、
そして辞書から抹殺しなくてはならない。
すべてのことは神聖な態度と儀式をもって
おこなわれなくてはならない。
我々こそが、待ちわびた者たちなのだ。
今こそが『その時』なのだ。
アリゾナ州 オライビ
ホピ国
長老
(訳:makouta)
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