Wikipediaというネット上の百科事典がありますが、これはあまり信頼ならない、と聞いたことがありました。
でも、便利なのでつい使ってしまっていましたが、やはり信頼ならないと分りました。
まず、わたしが「いいな」と思う人たちは大抵バッシングされています。
いえ、別にわたしが好きな人がバッシングされているから信頼できないというわけではありません。
ただ、非常に感情的な印象を受けました。
『パッチギ!』の映画監督の詳細は、ほとんど罵詈雑言です。
昔、家にも百科事典がありましたが、百科事典ってこんなに感情的で質の低いものだったかな、と思いました。
情報というのは、もっと公平で客観性が必要なのではないか、と。
それだけでなく、妙なこともありました。
最近ニュースキャスターだった筑紫哲也さんが亡くなったので、改めてWikipediaで調べてみました。
彼について細かいことはなにも知らなかったからです。
亡くなってすぐに読んだとき、『エピソード』の欄で筑紫さんが、「ガンの原因はストレスで、たばこはきっかけにすぎない」と言っていたのに対して、Wikipediaは、「医学的根拠はなにもない」とちょっと小馬鹿にした口調で反論していました。(医学的根拠はあるのですが・・)
そして、筑紫哲也=左派の怪しい人間、というメッセージが強く前面に出ていました。
・・・ところが、昨日もう一度読み返してみたら、たった数日の間に反論部分が削除されており、全体的に友好的な感じになっていました。
しかも最後のほうに、『筑紫哲也の死去に対する反応』という欄がもうけられていて、追悼番組が行われたことなどが長々と追加されていました。
「新聞社出身のニュースキャスターの追悼番組が放送されるのは異例であった」などとあり、批判的なトーンが落ちていました。
要するに、わたしもこの追悼番組は録画して見ましたが、異例の特別番組が放送され、各界の有名人が涙を流しながら彼のことを惜しんだからいきなり論調が変わったのでしょう。
歴史というものは人間があとがきとして作るものであり、英語では 『His Story』が語源で、その『His』は誰なのか、を見極めることが大切なのだと言われていますが、現在進行形のネット百科事典も、世論とそこから選びとる編集者のstoryであることを忘れてはならない、と思いました。
しかも、Wekipediaからは、志しも高い知性も感じらず、ネット上の情報がいかに日和見で危ういものが多いかを身をもって感じました。
そして、いつもわたしは思うのです。
I would like to hear HER story as well.
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