忙しいけど、書きたい。
で、書きます。
NHKのお昼のニュースを見ていたら、年末の帰省ラッシュの模様が映されていた。
今年は休みが長いせいか、帰省の時期をずらしている人が多いらしく、例年よりは一部をのぞいてすべての交通機関において混雑が少ないと言っていた。
東京駅の新幹線乗り場の子どもづれの家族にスポットをあて、子どもたちにマイクを向けていた。
その、レポーターの質問と答えに苦笑してしまったのだ。
問「お正月どんなふうに過ごしたい?」
答「いっぱいあそびたい」
問「お年玉、いくら欲しい?」
答「う〜ん・・・・1000円」(とびっきりの笑顔)
大笑いしてしまった。
可愛い。
一生懸命考えた結果が1000円。
きっと、この家族はきちんとしていて、子どもにやたらとお金を持たせたり、お金のことで煩わせていないんだろう、と思った。
でも、NHKに笑えなかった。
子どものころは、お金で誰も人生を考えていない。
お金でひとやものごとの価値が決まるなんて考えてもいない。
そんな子どもに「いくら欲しいか?」なんて質問は止めて欲しい。
こんな純真な子どもも、だんだん大人になり、お金もってないと女にモテないといか、世間に認められない、とか悩むようになるのだ。
お年玉の額を「価値」と考えていない子どもも、だんだん、学校に行き「ねぇねぇ、今年いくらもらった?」と話すようになり、だんだん、お年玉が多いほうが愛情が多いような、お年玉が多いほうが「恵まれている」ような気を持ち始めるのだ。
そうやって、ものごとをお金という数字でしか考えられないようになるのだ。
誰がそうするのか、考えて欲しい。
これは、公共電波だ。
次の男の子。
問「お正月どんなふうに過ごしたい?」
答「平和に心配せずおだやかに過ごしたい」
どうみても7〜8才の男の子。
普段どれだけ不安な日々を過ごしているのか、または、両親やまわりの大人が不安だと言い続けているのか・・・
子どもを見れば、鏡となって大人の社会がよく見えると言うけれど、本当にそうだとため息をついた。
少年たちよ、少女たちよ、いっぱいあそんで、いっぱい笑って、思いっきり楽しいお正月を過ごしてね。
お久しぶりです、makoutaさん。
毎日忙しくしてらっしゃるようですが、お元気そうでなによりです。
ブログはほとんど毎日チェックさせていただいてました。 心や環境の変化がここ最近激しかった私にとって、makoutaさんの言葉は、ちょっと立ち止まって自分を振り返るいいきっかけをいつも与えてくださいました。
今日こちらのブログを拝見し、インタビューに答えてた二人目の男の子のコメントを読んで、会社帰りに時々見かける、塾帰りの小学生たちを思い出しました。
一人、とても印象に残ってる男の子がいます。 夏が過ぎ、だんだん肌寒くなってきたころでしょうか… 私が残業を終え、疲れた体を引きずるようにして駅に向かって歩いていると、私の10メートルくらい先をその男の子が歩いていました。 格好こそ子供らしいものでしたが、彼は、寒さのせいで、いつもよりきれいに星が輝いてる空をちらと見上げ、とても深いため息をつき、がっくりと肩を落とし、背中をまるめてとぼとぼ歩くその様子は、社会人の私や、そのへんのサラリーマンより、なにか背負っているものがとても大きく感じられ、一瞬、背筋がぞっとしたのを覚えています。
こんな小さなうちから数字で判断され、負け組勝ち組、情操教育そっちのけで、やれ勉強勉強と毎日言われているのかな… なんだか、とてもやるせない気持ちになりました。 こんな風に背中に哀愁漂わせるのは、まだまだあとになってからでいいよって、思わず肩を引きよせてあげたくなるほどでした。 自分が子供のころのことを思い出してみても、子供ならではの悩みや葛藤はあったとしても、この男の子から感じたある「負担」は、もってなかったんじゃないかなぁって思います。 いまどきの子って、大変なんだなぁって、なんか、ほんとにやるせない。 子供の時に経験しておいたほうが絶対その後の人生にいい影響与えてくれることってたくさんあるのに。 触れるべき、かかわるべきもの事にきちんと携われる環境を与えるべきですよね。 こういう社会を作ってしまったのも私たち大人の責任。 その代償をきちんと払わないといけませんね。
わたしにできることはなんだろう… おおげさなことじゃなくていいから、なにか、彼らのいいお手本になれたら。
やはり、そのためには、自分に正直に、しっかりと地に足つけて生きていかないといけませんね。
投稿情報: 水瓶座のもも | 2008年12 月27日 13:45