今日のNYはそんなに寒くありません。多分、4度くらい。日差しがあって気持のよい天気です。空気が乾燥しています。もってきた日本のタロットカードが反っています。水分が抜けちゃっているのでしょう。
外を歩いていて思いました。「あぁ、楽・・・」なんだか楽なのですよね。道路が広いせいか、歩道が広いせいか、空が高いせいか、ひとが優しいせいか、それとも単にこっちが慣れているせいか・・・。で、いろいろなことを思いました。わたしの中にある葛藤について。
わたしは、正直の正直のところを申すと、日本人が怖いです。電車に乗るのも怖かったくらい怖いです。友だちに言ったら「日本人なのに日本人が怖いって・・・そりゃ、大変だね。」と言われたことがありますが、自分でもなぜだろう、とずっと思っていました。理由はいろいろあります。無表情なひとが多いとか、とつぜんキレるひとがいるとか、いじわるなことを言うひとをあちこちで見かけるとか、、、、でも、決定的なのは多分「コレ」だろう、というのに最近気付きました。
それは、わたしの家族の歴史に由来しているようです。と、言うのは・・・わたしの両親は離婚していて、母方に育てられたのですが、その家族が日本社会でかなりの苦労をしているからです。この家は、ずっと地主でした。山も川も森も平地も360度見渡す限りこの家のものと言われていました。何百年も、もしかすると千年以上ずっと前から続いていた家で、彼らにとって江戸時代とういのは新しい時代であり、江戸幕府はあとからきた新権力だったのですから、意識的にも旧い家と言えるでしょう。
ただ、昔の権力者というのは、ひとの面倒もみるものだったようです。曾祖母の家の墓地には、行き倒れのひとや、行くところのないのひとたちをひきとって面倒をみて葬ってあげた墓が沢山あります。そして、曾祖父の時代くらいから、新しい時代に目覚めました。曾祖父は、馬車いっぱいの本を買い集め、村々の子供たちが少しでも勉強できるように配ってまわったりしたそうです。そして、祖父は、戦争にハッキリと反対の意を唱えました。「この戦争はよくない。アジア諸国への侵略であり、アメリカを相手にしても勝ち目はない。第一、みんなが苦しむだけである。」どうなったか・・・それまで「庄屋様」とあがめていたひとたちが「アカ」と彼のことを呼ぶようになり、祖父は投獄され、祖父の弟は獄死、妹は体中に刃渡り何十センチもの傷が残るほどの惨い拷問を受けました。この大叔母は反戦運動とは係っていなかったのですけどね・・・。実家は放火さえもされました。
その恐怖がわたしの中に潜在的にあるようです。ひとと出会うとかならずわたしの中のセンサーが「このひとはどの程度で裏切るひとだろうか」といつも、巡っています。たいていのひとが顔で笑って適当なことを言うけれど、急場に立たされると結構ひどい裏切り方をするだろう、と感じます。きっと、また戦争や集団のいじめなどが起こっても、多勢やメディアが「これはいいことだ」と言ったらそちらになびき、それに反対する少数派のひとを虐めたり殺したりするだろう。そして、もっと怖いことに、後になってそんなことはなかったような顔をするだろう。
そう思ってしまうのです。
誰かと話していても相手が「このひとは有名なひとなの?」などと言う質問をすると、わたしの中の警戒音はけたたましい音を立て、こころのシャッターが降ります。世の中にとって有名か有名でないか、ということをまず気にする人は、自分の目と耳で確かめてものごとの判断をするひとではないからです。99人が「いい」と言えば、自分はいいと思っていなくても「いい」と言うひとだからです。自分の感覚、自分の感性、自分の判断、自分の好み、自分の考え、自分の経験、自分の知識。これらを尊重せず、もちろん他人のも尊重しない。気にするのは世の中の流れと情報。そして、赤信号はみんなで渡れば怖くない、みんなでやれば虐殺も正義、ってことになるからです。
神童と呼ばれて将来を期待されていた若い息子を悲惨なかたちで亡くした曾祖母の嘆きを子守唄のように聞き、大叔母の傷をお風呂に一緒にはいるたびに見、祖父の拷問話しを幼い頃から聞いて育ったわたしは、日本人が怖くて仕方ありません。祖父の爪に針をつっこんでかきまわしたのも、大叔母を裸にして逆さ吊りにしてめったうちにしたのも、大叔父が死ぬまで痛めつけたのも、正直に生きようとした家族を手のひらを返して村八分にしたのも、みんな、日本人だったからです。アメリカにも暗い歴史もあり、暴力もあります。けれど、メディアも権力とは一線をひいていますし、さまざまな意見がこの国には存在し、少数派にも耳を傾ける意識もあります。そしてなにより、侵略戦争が終わって半世紀以上たっても「自分たちは被害者だ」っていう顔を国民全体がするってことはさすがにないのです。
わたしは日本のみなさんに聞きたいのです。あなたのおじいさんの当時の戦争への態度はどうだったのでしょう。あなたのおばあさんは戦争中なんと言っていたのでしょうか。戦争に反対したひとに対してどのような態度をとったのでしょうか。そして、いま、あなた自身はご自分の家族が歴史の流れの中で過去にしてきたことをきちんと知っていて、それへの自分なりの判断や意識はあるのでしょうか。
実際のところ、それが知りたくてわたしはまだ日本にいるのかも知れません。もしかすると、あと数年でわたしが日本にいられる期間は終わるかも知れません。今回アメリカに入ってくるときに法的な意味も含めてそれを感じました。タイムリミットのボタンがピカピカ光っていました。そんな中、こうしてアメリカとの間を行き来しながらも日本にまだ留まっているのは、わたしを生んだ国、わたしの家族が千年以上いた国、そこに住むひとびとを、わたしはきちんと知りたいのだろう、と今日の突き抜けるような青空を見て思ったのでした。そして、わたし自身、殺されるかもしれないことへの恐怖をもう棄てるときが来ているな、と。
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