あぁ、もっとNYにいたい・・・そのひと言です。な〜んでたった2週間半の滞在にしちゃったんだろう、と後悔してぼやいたわたしです。なぜって、やっぱりダンスが楽しいからです。昨夜はママディ・サノさんのクラスを受けました。時差ボケもなおっていて正気だったので、ややこしいステップも問題なく、久しぶりに汗をかきました。昔からの友人たちに「で、いつこっちに戻って住むの?」と言われるたびにあ〜なんで帰ることにしちゃったんだろう〜!?って後悔するのですが、やっぱりこの街はサイコ〜とひとりでニコニコしてしまったのでした。
けれど、来てすぐのときに慌てました。この10年くらいあったジョニーバスタジオはなくなっているし、先生たちはバラバラのことろで教えているし、以前は毎日どのクラスを受けたらいいのか、と迷うくらい沢山のクラスがまとめてあったのに、いまはどこになにがあるのか探すだけで精一杯だったからです。友だちにすぐにメールして、「一体どうなってるの〜?どこに行けばなにがあるの?NYになにが起こっちゃってるの?」と聞いたくらいです。すぐに返事がきて、あちこちにちらばっているクラスのスケジュールを送ってくれましたが、これもNYの特徴のひとつです。
変化し続ける。
この街は水瓶座の街です。(ちなみにアメリカ合衆国は蟹座。日本国も実は水瓶座。東京はなに座か知らないけれど、水瓶座のエネルギ−は感じられません。)水瓶座は、改革と変化を現します。世界的な変化のときに、この街はその先頭を切っているのかも知れません。冥王星がブラックホールに並び、去年の暮れから山羊座に入っています。なんども繰りかえしてきましたが、権力機構や組織が崩壊するときです。ジョニーバスタジオもその流れのひとつだったのでしょう。いま、仮の場所で運営を行っているそうですが、芳しい噂は聞きません。多分、時間の問題でしょう。
NYには、アフリカ系のスタジオが80年代からずっとありました。最初は、ユダヤ人でローラースケートの選手(?)だったひとが運営していたレズリースタジオ。次にエピゾさんと奄美出身の日本人男性が共同経営していたファレタスタジオ、そしてジョニーバスタジオでした。それぞれにそれぞれの特徴があり、同じアフリカンダンススタジオと言えど、少しずつ雰囲気はちがいました。けれど、いつも「ここにゆけば必ずアフリカンダンスができる」という場所があり、みんなの集まる場所がありました。
それがいまなくなっています。みんな散り散りバラバラになり、空中分解気味です。さまざまなモダンダンススクールのスタジオを借りて先生たちは教えていますが、ほとんどが静かさを重んじる白人系のモダンダンスの学校です。クラス終了後に興奮した受講者たちやアフリカ人たちが騒いだりするのが問題になったりしています。そしてとうとう、先日ババカール先生のクラスの前に話しがありました。「僕たちはいま違う時代を生きている。ずっと、レズリー、ファレタ、そしてジョニーバがあって甘やかされてきたが、いまは違う。ひとのスタジオで踊らなくてはならない。自覚を持つように。」と、いまや長老になってきたマラン・バヨという先生がおっしゃていました。その言葉を聞いて、確かにときは動いているんだな、と実感しました。
しかし、この変化は不便でもあり寂しくもありますが、一方で良い面もあるとわたしは観察しています。人種間の壁が壊れてきているのです。と、いうのは、これまで3つのどのスタジオでも「ここはアフリカンダンスの場所だから」と、黒人達が固まって他を排斥しようとする雰囲気があり、喧嘩や嫌がらせが絶えませんでした。わたしも最初はどつかれたり(笑、ホント)無視されたり、嫌がらせをされたり、大変な思いをしました。上達すればするほど厳しい風当たりでした。「殺す」と脅迫電話がきたこともあります。
しかし、これには理由があります。アフリカ黒人奴隷たちは、アフリカから鎖で繋がれ、起き上がることも動くこともできない船にすし詰めにされて連れて来られ、売り買いされ、強姦され、リンチされ、惨い形で殺され、同じ水道の水を飲むことも、バスで同じ席に座ることも、同じ学校に行くことも許されないできたのです。長い長い苦難の歴史のあとに、ようやっと黒人開放の動きが60年代から高まり、ちょうどそのころ次々にヨーロッパから独立を果たしたアフリカのアフリカ人たちがジャンベを抱えてやってきてアフリカの太古のリズムを響かせ、アメリカの黒人達は涙を流して歓んだのです。ですから、これまで自分たちを差別してきた白人や黄色人種が、ようやっと再び手に入れた「わたしたち=アフリカの子孫」のダンスをやることが許せなかったのでしょう。また、差別されたひとというのは差別をするものです。それまでの憤りと怒りが、白人と黄色人種を逆差別するという形で噴出していました。もちろん全員がそんな黒人ばかりではなく、冷静な目と公平な態度をもったひともいました。手を差し伸べてくれたひとたちもいました。それにしても、その負のエネルギは黒人同士さえも傷付けるほど深く、苦しいものでした。
ところがいま、「アフリカンダンス専門」のスタジオがなくなり、空中分解しています。そして、アフリカ専門ではないスタジオでやることにより、より多くの人がその存在に気付き、門が開放され、多くの白人たちがアフリカンダンスをやるようになっています。黒人達も、以前のように固まって差別をしなくなっています。
わたしはずっと願っていました。アフリカンダンスをやる白人やアジア人たちは、黒人を差別してきた白人やアジア人とは違い、少なくとも彼女たちの文化を尊敬しているのだ、と。彼女たちからダンスを奪おうとしているのではなく、尊重し分かち合いたいのだ、と。わたしたちもまた彼女たちと同じ人間であり、育った環境や国や人種は違っていても、生きることで悩み、苦しみ、幸福を求め、アフリカンダンスに希望と歓びを見いだしたものたちである、と。そのことにいつか気付いて欲しい、と。
ですから、この空中分解のときは、なにが大切なのかを振り返るよい機会ではないかと思うのです。これまでのようにただ同じスタジオで踊りながらもこころで壁を作っているのではなくて、生い立ちや人種を越えて、みんなが人類の故郷といわれているアフリカのリズムでひとつになるための、ダンスの本質を再び見いだすための、試練のときだとわたしは考えるのです。
そして、NYのアフリカンダンスシーンは、地球規模の「変化のとき」、マヤカレンダーの終わり、水瓶座の時代への移行、未曾有の変化のときを象徴していると感じます。組織は崩壊し、多くが変化し、行くところもなくなり、ひとびとは不安になっています。けれど、これまでのあり方を見直さざるを得ないときにもなっています。きっと、「残らなくてはならないもの」は必ず残り、この崩壊のあとから生まれるのは「生まれるべくして生まれるもの」であろう、と信じるのです。そして、よく見れば、闇と言われている宇宙にも実はひかりの分子があるように、目をこらしてみればひかりは見えてきている。見えるか見えないかは、そのひとのこころの目にかかっている、とわたしは思うのです。
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調べてみたら、東京はおとめ座でした。やっぱり・・という感じでした。なぜなら、誠実で真面目なのですが、プライドが高くて頑固で融通がきかないところがあるのがおとめ座の特徴でもあります。安定と地位を求める土の星座でもありますので、改革や変化はなかなか望めません。ですので日本の場合、東京はどちらかというと一歩も二歩も遅れをとり、国全体が先に一斉に変化してゆくのかも知れません。
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