赤坂の豊川稲荷神社に行ってきました。と、言うより間違えたんですけどね・・。今日は、南直哉さんの講義の日だと思って出掛けたら、くら〜くて人気のない神社にただ風が吹いていました。よくスケジュールを間違えるわたしですが、社務所に寄って聞いてみると「あ、その講義なら2〜3日前にあったみたいですよ」と言われ「また、やったな〜〜」とため息をつき、しばらく神社の中を散策しました。
この頃、いろいろあってこころも体も精一杯な感じでした。でも、暗い神社に入ったらすっと落ち着きました。神社は大通りに面しているのですが、奥に樹があってザワザワと枝が音をたてて風に揺れていて、誘われるようにして中に入って行きました。
そこには、闇がありました。なんだかほっとしました。多くのひとは、闇を怖がります。わたしは好きです。いつからか好きになりました。幼い頃は、古い家で育って、長い廊下の向こうにあるトイレに行くのが恐くて泣いたこともありますが、いつのころからか、闇にいると落ち着くようになりました。そして、闇より人間が恐いと思うようになりました。
じっとして風の音を聞き、きつねの顔を見ていたら、いろいろと思い煩っていたことがすっと遠のいていって、この街に生き、悩み、歓び、死んでいった人たちの息づかいが聞こえるような気がしました。奥の建物では、日本舞踊をやっていました。お年を召された女性が、美しい無駄のない動きですっすっと動くのが窓の下から見え、こころが緩やかになりました。
しばらくしてから家に戻りましたが、電車に揺られながら、東京にもまだほんの少しだけ昔の匂いがあるのだな、と改めて思ったと同時に、この街と国は急速に変化し、それにひとびとのこころが着いていっていないのだ。この国にずっとあった踊りのふりや、動作や、衣服もすみにやられ、若くあること、新しいこと、日本ではないことばかりが重宝がられ、沼の上に建った建物のような国になってしまったのじゃないか・・・なんだか、不安と焦りばかりが蔓延する場所になっているのではないか・・・
妙な風の吹く街を電車の窓から見ながら、そう思ったのでした。
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