中国の映画のDVDを観ました。「暖」という映画で、ちょっと悲しい映画でしたが、中国の現実を良く現していて興味深く、また、映像が美しかったのが印象的でした。さすがに中国人だな、と感銘しました。
ところで、その中の台詞で「わたしは彼ではない。そして彼はわたしではない。」というのがありました。我不是他。他不是我。日本語字幕では、わたしは彼ではない。としか訳されていませんでしたが、この両方があってこその台詞で、こころに残りました。
ある高校生の男の子は幼なじみの女の子が好き。ところが、彼女はよそから来た年上の男性に恋をするのです。でも、その年上の男性は女の子のことを大切にしません。端で見ているボクは苦しむのです。でも、どうしようもない。だってボクは彼じゃないし、彼はボクじゃないから・・という下りなのですが、この「ボクは彼ではないから」というのに、なかなかひとは行き着かないことがあります。特に、日本社会は「みんな一緒」というのがあって、「言わなくてもわかって」とか「あたしたちは一緒よね」というのがよくあります。
わたしは幼い頃から、それが苦手でした。学校で女子が一緒にトイレに行ったり、必ず同じ人たちと弁当を食べたり、、、「頼むからほっておいてくれ」とわたしは好きなときに好きなように過ごしていました。「言わないでもわかって」なんて言われると気持悪くなり、あたしは霊能者じゃない、と言い張っていました。言いたいことがあれば言えばいい、なけりゃ、わかってなんて気持の悪いこと言わないでくれ。個人主義、と呼ばれていました。それで結構、とひとりで好きにやっていたわたしでした。
ところが、恋愛をするとこれが変わってくるのです。自分の気持を相手に霊能者のように読み取って欲しいと思う。相手はきっと自分と同じように感じているに違いないと思い込む。そして、分ってもらえないとものすごく寂しくなったりするのです。そんな自分が自分でおかしいと気付くのに時間がかかったような気がします。「なぜ、あなたはそんなことするの?あたしはしないのに・・・」と相手にいいつのっている自分にある日ふと気付き、「あれ?あたしがしないからって相手がしないとは限らないし、あたしの道理が相手にとって正しいとも限らないわけだし・・。なんであたしはこんなこと、この人に言っているんだろう。」と、黙り込んでしまったのです。
家族や恋人や近しいひとには、つい、「あなたとわたしは一緒」と思い勝ち。なんでも分って欲しいし、互いに少しでも距離を縮めたいと思う。でも、わたしはあなたではない。あなたはわたしではない。の距離感を持つのって本当に大切。そうしないと、ひとりよがりになるし、思いやりがなくなっちゃうし、勝手にひとりで苦しんで愛を見失ってしまう・・・。経験からも分ります。自分の好きな女の子のことを大切にしない男性に詰め寄ることもなく、殴りかかることもなく、そっと見守って苦しんでいる中国の高校生の大人の言葉に感心し共鳴しながら、改めて思ったのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(乙女)
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