こんなコメントが入っていました。ひとつ前の「レコーディングしてました」のブログにです。そのままコピーしてペーストしました。
宮崎あおいに似てる激カワのユキちゃんと会ってきたんだが
俺みたいなブサイクデブ糞ニートでも余裕でハメハメできたってのwww
むしろ俺みたいな奴にヤられるのが興奮するらしいwww
女の子ってわかんないもんだなー(´∀`*)
今までにもいろいろなコメントはありましたが、ここまで病的なものは初めてで、読んでも意味が分らず、何度か読み返してしまいました。だいたい、ブログとは全く関係性のないコメントですから、コメントではなく、「言い捨て」です。commentというのは、相手の言葉や意見に耳を傾け、それにたいして、commentするものですから。このひとは、自分の声をどこかで聞いて欲しいからこうやって、見ず知らずの、どうでもよい他人のブログにこうやって時間を裂いてわざわざ「言い捨て」を入れるのでしょう。しかし、相当病んでいることは確かです。
まず、自分のことをデブだとかブサイクだとか糞ニートだとかあらゆる否定的な言葉で形容しています。次ぎに、愛情表現の大きな形のひとつである行為を「ハメハメ」と、愛をまったく無視した擬音で表現しています。そして、自分のような最低なものに興奮してくれる女の子を「わからない」、といいつつ「こんな自分でも認めて欲しい」という叫びが聞こえてきます。ハメハメではなく、きっと愛し合いたいのだろうな、と思います。けれど、愛し合うには、まず、相手の声に耳を傾けないとね・・・このような「言い捨て」からはどうしたって愛は生まれません。
昨今では、犯人が精神的破綻を起こしていると感じられるいろいろな事件が巷で起こっていますが、このように、かなり屈折した精神状態をもったひとが沢山いて、犯罪の温床を作っていると感じます。電車に乗っていても、道を歩いていても、目つきや行動が異常な男性に沢山遭遇します。
でもわたしは思うのです。これは、女性にもあることですが、ひとに認められるより、まず、自分で自分が認められる人間になることが大切ではないでしょうか。ひとに愛される、というのはほとんど奇跡か偶然のようなものであり、宝くじに当たるようなもので、秋の空と同じでうつろいやすいものでもあります。それをこっちが努力したところで、どうにもならないのですが、自分で自分を愛することは努力でなんとかなしえるものです。・・・・大変ですけどね(笑)。このひとも、本当にデブなら運動したり食生活を改善してデブをやめて、女性をモノとして見るような態度をやめ、女優に似てなくてもこころの美しさを探すようにし、セックスを魂との遭遇を求める肉体の形だと考えを改めれば・・・いえ、それができなくても、それを目指すことに時間を費やしてみれば、こんな悲しくて病んだ言い捨てをわざわざ書く悲しき小人であることは少なくとも止めることはできるのではないでしょうか。ひとの気持はどうしようもないですけれど、自分のは少しはなんとかできるものです。少なくとも、こんなに恐ろしく自分で自分を下げ、そうしながらも、「いいえ、あなたはそんなに酷くありませんよ」と誰かに言ってもらいたい、というかなり屈折した苦しい精神状態からは抜けられると考えます。
こんなこというひとにブログででも遭遇したのは初めてでしたので、「きゃ〜。こんな人ホントにいるんだ!電車や道で見る男の人たちの頭の中ってこんななんだ・・・だから気持わるいオーラなんだな。」と、理性では納得したのですが、少なくとも、ひとりの女のとしては、自分のことを最低な形容詞でしか表現しかできない、自分のことを自分で嫌いな男性には、同情はしても、魅力は感じません。そして、このような言い捨てをするひとには「甘えてんじゃねえよ。こんなくだらないこと書く暇があったら、自分のことくらいなんとかしろよ、バッカヤロー!」と言いたくなります。けれど、いわゆる世間的には美男子でなくても、認められていなくても、自分の人生をそのひとなりに誠実に生き、自分と人生を受け入れている男性(直哉さん流に言えば「自分を引き受けているひと」)は、勇気あるひとであり、とても魅力的だと思うのです。育った九州の田舎には、土に生き、天を仰ぎ、水と語り合い、周りとは協力関係を結ぶけれど、ひとがどう思うとかこう思うとか、デブがどうとかこうとか、そんな表面的で些細なことは気にしないで生きる、セクシーな百姓の男たちがいて、わたしは彼らのことを、つい、思い出してしまうのです。
それにしても・・・昼夜かまわず、道で勃起した性器を出されたことは一度や二度ではありませんし(実は昨夜もあった)、見たこともない人に電車でいきなりじっとりと手を握られたこともありますし。これから夏にかけて、露出したがる人や、接触してくるひとが増えてくることでしょう。恐いし、気持悪い・・・ この国、そうとう病んでます。
愛好家さん、
現実を謙虚に・・ですか。
これ、多分、あとでわたしも考えましたが、個人的なものではなく、いわゆるあなたのおっしゃるスパムと呼ばれるものなのだろう、と。
けれど、このブログをおろさなかったのは、こういうことが巷に溢れていて、まるで当たり前になっていることに疑問を感じているからです。
個人的に書かれたものでなければ、一般とは関係ない、とは言えません。
こういうものを、だれでも目にしてしまう現実。
個人的でなければなにを書いても良いと思う風潮。
このブログはほとんどそういうものから遠いと思われるのに、そこにも流れてくる。
そして、実際に、わたしは小柄なせいか、女として、性的な嫌がらせというか非常に不愉快な思いを何度もしており、わたしの周りで通勤電車に乗る女性も日常的に痴漢にあっていることも知っています。
それだけでなく、強姦されたひとをわたしは実際に身近に10人以上知っています。
わたしの大の親友のひとりも犠牲者です。
彼女たちは、その記憶から一生逃れられずに生きています。
それがどれだけ辛いものか・・・あなたに想像できるでしょうか。
そして、電車や道で気持悪い目つきの男性たちに、女性として、感性を殺さずに生きようとするものに、どれだけ嫌なものか、あなたに想像できるでしょうか。
このようなスパムだから別に現実とは関係ない、言われること自体に恐ろしさを覚えます。
わたしは、スパムであろうとなんであろうとこのような言葉があちこちに氾濫していることが、問題だと思います。
それこそ、言葉は生きているのです。
このような言葉が実際に気持の悪い目つきの男性たちや性的犯罪を起こすひとたちを生み出すことに貢献しているだろうことに、わたしは疑いを持ちません。
感性とはなんのことをおっしゃっているかは分りませんが、このような話しをすると、あなたのように反論する男性を多く知っています。
しかし、これこそがわたしには「現実」であり、そこから目をそらすころは、感性を静かに殺すことだと考えます。
このようなことは「スパム」だから一般ではない、謙虚になれ、で終わってしまうことにわたしは危機感を覚えます。
そして、女性は声をもっとあげてもよい、と思います。
それに、わたしはひとのオーラを感じるのです。
無責任に言っているのではありません。
本当に気持悪いです。
1車両に複数のこのように病んだオーラのひとがいるのはこの頃では当たり前なのが、現実です。
あなたも、西アフリカの音楽を愛好するのでしたら、感性あるひとなら、女性がどれだけ嫌な思いをしているかを思いやる想像力を働かせてください。
そして、それらの気持の悪い目つきの男性や性的暴力をふるう男性たちと闘う、または、それらのひとから女性を守りたい、と思う勇気ある男になってくれることを願います。
makouta
投稿情報: makouta | 2009年6 月29日 23:24
こんにちは
時折blogを拝見させていただいています。
いつも示唆に富んだメッセージをありがとうございます。
本文中に少し気になった点があったのでコメント致します。
この本文中で触れられている書き込みは、いわゆるコメントスパムだと思います。
日本のスパムに関する詳細は御自分で調べられた方がいいかと思いますので、ここで詳しくは書きません。
普段からmakoutaさんの言われているこの国の病は、ある程度理解できますが、こうしたスパムを一般化して、以下のように発言されてしまうと、その判断基準に疑問を感じます。
>「きゃ〜。こんな人ホントにいるんだ!電車や道で見る男の人たちの頭の中ってこんななんだ・・・だから気持わるいオーラなんだな
言葉は生きています。
自ブログ上であろうと、公開された無責任な発言は独り歩きします。
そして現実を謙虚に見極める姿勢があって初めて、自身に豊かな感性をもたらすのではないのでしょうか。
投稿情報: 一西アフリカ愛好家 | 2009年6 月29日 10:14