あるセネガル人の友人と長話をしました。彼は、アーティストではなくビジネスをやっているひとですが、とても知恵に溢れたことをよく言ってくれるひとで、ときどき話しを聞いては納得しています。先日彼が言ったのは、
「いろいろなひとがいて、みんな違う。特に日本は沢山人がいるところだし、ぱっと見ただけではそのひとはどんなひとかは分らない。ぶつかってみて初めてわかる。だから、まずぶつかってみることが大切。」
ホントにそうだよね・・と思いました。それとは対照的に、日曜日にある日本人の女の子とダンスクラスの後にジュースを飲みながら、お喋りをしたのですが、彼女は、とにかくひとは警戒して、まずこころの扉は閉じてつき合う、と言っていました。彼女は、そうしないと嫌な思いをするから、、、、と言っていました。彼女ようなひとのほうが今の日本は大半なのではないでしょうか。傷付くことを恐れているのです。だから、まず、こころは閉じる。分るような気もします。
ただ、若いころはそれでも、なんとか保てるかも知れません。体力や、ある意味の純粋さというか未経験から来る希望的観測というかそういうものがあったりして、それほど大きく躓くことなく過ごせるかも知れません。でも、だんだん、それを続けて行くと、体もこころもカチコチになってゆき、自分が一番辛くなり、息苦しくなり、そしてなんと言っても孤独になるだろうとわたしは思います。
占星術でも、30才、42才、50才が大きな転換期となっています。この時々に、自分の殻を破り、本当に自分にとって必要なことへと挑戦する勇気と、こころを開く勇気を持つと、大きく変化がとげられ、柔軟で広いこころを持つようになれると言われています。けれど、それができないと、世界がどんどん自分に押し寄せてくるような感じがして、60才ころになって非常に辛い思いをする、というのが定説であり、実際に、わたしはそのようなひとたちを多くみてきました。実は、お隣のおばさんは、60才前で、もともととても明るく元気な方なのですが、このところ襲ってくる精神不安と日々闘ってます。天井が自分に向かって落ちてくるような気がし、自分はなにをして生きてきたんだろう。そして、なにに向かっているのだろう。息苦しい中、そう考えるのだそうです。会うたび、毎回のようにわたしは彼女にその苦しみを聞きます。そして、聞いていると彼女の生きてきた世界は狭く、なにかを頑に守り抜いてきた人生を生きてきたことがわかります。けれど、体力も落ちてきて、いろいろが固まってきた60才になって殻を破るのはとてもしんどそうです。
ひとは、傷付きたくないものです。そして、安定や安心をどうしても求めます。人間のサガだと精神医学では言われています。けれど、先日の南直哉さんの講義でも言われていたように「安心(あんじん)というものはこの世にはない。」のです。それを受け入れ、とにかく、セネガル人の友だちが言うように、ぶつかってみることからなにかを発見してゆくしかないのです。
もちろん、それをしないで安心だけを求めて歩む人生もありますが、非常に辛い老年期または人生の最期となることは予測されます。多くの病は、気の滞りから起きると中国医学では言われますが、気の滞りとは停滞を意味し、ぶつかることもせず、なにかにしがみついたり安定に執着すると起こることとも言えます。今、世の中は、大きな転換期を迎えていて、すべての観念、規則、常識、システム、機構が崩壊、またはその意味を問い直されている時代です。それが多くのひとびとのこころを不安にし、国は閉鎖的になり外国人を受け入れない国々が増えており(日本もアメリカもそう)、上の彼女のように他者を受け付けないひとびとが反動として増えています。
けれど、実は、この大きな転換期の波に乗り、流れに見を任せて自分の中にある常識や価値観や偏見を見直してみると、ものすごい成長または改革が得られる時期でもあるのです。そのひとつの方法が「ぶつかってみる」ことでもあります。暴力的にでも極端にでもなく・・正直に、素直に、そして率直に。
ちょうどそんなことを思っていたら、今週のアエラで椎名林檎さんが「傷付いたりして籠ってはいけない。」「関係することを怖がるのは情けない」と言っていました。わたしも、正直日本の音楽業界の姿勢やアフリカンシーンに傷付き、しばらく籠っていましたが、ブログを書き始め、少しずつ外に出始め、電車でもどこでも知らないひとにでも話しかけるようになり(極端?笑 でも、これが元々のわたしのキャラ。そしてニューヨーカーの普通のスタイル)今はバンドもやるようになっています。籠っている時は、本気で自分の存在がこの世から消えればいい、静かに樹の下で朽ちてゆきたい、とまで思っていましたが、ある時から、林檎さんと同様、それではあまりにも情けない、と思って外に出ることにしました。それで、随分見える景色も変わってきましたし、こうやって素晴らしい友人たちもできました。辛さや憂鬱が全部なくなったわけではありませんが、なにかがふっきれた感じです。
アフリカンダンスやドラムをやっているひとたちは、目の前に異文化があるのですから、彼らとまっすぐに対話してみると良いのではないでしょうか。そこには、今まで自分が思ってもいなかった価値観や、深い叡智があったりして、自分を振り返ったり、愛を知ったりすることができるよいきっかけになると思います。殻をやぶってくれる、素敵なチャンスが目の前にあるのです。
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写真上:この日の電車には、なぜかアメリカ人が沢山いました。手前左のお尻もアメリカ人の若い女の子のお尻です日本の高校生たちと一緒に輪になって話していました。留学生システムの一環なのかも知れません。ピカチューのどのキャラクターが好き?なんて、可愛い会話をしていましたが、とりあえず、新しい価値観と遭遇する彼らに、わたしはエールを心のなかで送り、まったく英語は分らないフリしてました(笑)。
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